明治神宮 その2

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 明治神宮その2.

 神社の鳥井をくぐって、本殿に続く道を進む。

 やはり、神社に参拝をする人は多かったが、ほとんどの人は、鳥居をくぐる前にしっかりとお辞儀をして通過するのを見て、まだ日本人の中には、しっかりとした、礼儀作法をしている人間がいるのを見て安心した。

 原宿通りの、訳の分からない若者だけが日本人ではない。。

 通りの左側には、明治神宮の歴史を記載した、説明の看板が並ぶ。

 右側には、11月なので、見事な菊の祭典だ。菊の鑑賞もいいな。。

 俺も菊を育てた時代があったが大変だった。

落ち葉拾いで、菊のための土を作るから大変だった、

 神社左側の看板で明治神宮の歴史を勉強した。

明治神宮は、明治天皇と、奥さんの皇后陛下が御祭神として、おられる。

 明治天皇は大変な時代を日本国民のため尽力してくれた人物だ。

 まだ幼いころに、京都御所から、江戸にやって来る。

 アメリカの黒船ペルーがやって来る、1年前だ。

 京都の昔の人は、未だに天皇陛下は、京都から、東京にお貸したという。

 つまり、京都は天皇陛下の本家であると言いたいらしい。

 現代の若者に本家と言っても分からないであろう。

 ベル―がやってきて、日本は大きく変わる。

 天皇主権、日本人の全責任者に祭り上げられた、明治天皇はどんな気分だったろう。

 時代は、羽織はかまから、洋装へ。

 ちょんまげから、現代の髪型へ、

 近代工業の始まり。

 幕府から政府に。

 めがぐるしく時代が変わる、時の責任者に祭りあげられた、明治天皇

 御心痛、推して知るべし。

 こんなどさくさの中でも、ご先祖さん達は、若者の教育を忘れなかった。

 国のお金もない中、伊藤博文など5人の若者が世界に旅立させ、研修させる。

 すぐに、日本に帰ると当時の日本に合った憲法を作る。

 憲法を中心に現代の日本が出来上がる。

 アメリカ、イギリス、フランスなどは、当時日本を植民地にしようと狙ったいた中での、 天皇陛下伊藤博文などの活躍は素晴らしい。

 諸般の事情により、戦争になっても、日本人の心意気は失わなかった。

 現代の日本人の生活があるのは、明治天皇と、ご先祖様のおかげだと、俺は思っている。

 本殿のお賽銭箱に、わずか100円だが、気持ちを込めて、投げ入れた。

 早くこの、新型コロナの騒動が治まるよう。

 みんな元気に、暮らせるようにと手を合せた。

明治神宮 その1

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明治神宮 その1

 東京の新コロナの流行はすごい。

 連日500名以上のコロナの患者さんが出る。

 こんな中で東京見学に来る観光客がいるのだろうか。

 横浜から東京の渋谷に用事があったので、行ったが、その帰りに東京見学がしたくなった。

 この間は靖国神社に行ったので今回は明治神宮にお参りしよう。

 明治神宮は日本で一番参拝者が多い神社である。

 今年の正月は、3蜜を避けて、元旦の参拝も、ずらしておこなって下さいと政府も行っているので、来年の祈念を11月で少し早いが、行こう,行こう。

 渋谷から山手線で一駅、原宿に着く。

 原宿の駅のすぐ右側が明治神宮だ。 左側は若者の街、原宿どうり。

 若い女性が、俺には訳の分からない、派手の服装で、わいわい、ざわざわ騒がしい。

 我が家の小学生の孫娘が、横浜に遊びに来た時に、プレキヤとかいうものを買うために、原宿に行くといった時には驚いた。

 今や、小学生にしても、何とかスタイル、にあこがれる時代になったのだ。

 時の流れか。

 新コロナの警戒時なのに、原宿とうりは、若い女性のお客が、多数いた。

 しかし、どんな状態でも、若い女性は輝いているな。

 あの子たちは、これから、どんな人生を歩くのだろう、

 ジージーは、いらない心配をする、

 その点、原宿駅右側の明治神宮は時代の流れを感じない、厳かな雰囲気で存在する。

 神社のとうりの、前に行くと 今年令和2年11月1日に明治神宮100年祭を行った看板が出ていた。

 明治は遠くなったが、100年を過ぎたのか。

 それは、間違い。

 明治22年に建てられた神社なので、今年は明治何年になるだろうと、年齢早見表で調べたが、明治の年号は、もはや記載されていない。

 大正時代の年齢は記載されていた。

 もう、明治時代に生まれた、日本人は、存在しないのだろう。

 明治時代に生まれた人が、原宿の若者を見てなんていうのかな。

 今どきの若者は、―――――

 俺と同じことを言うに違いない。

 アメリカのペリーが黒船に乗って、江戸時代に現れたときは、同時の人々は、さぞかし驚いたことだろう。

 そういう俺も昭和の生まれ。

 時代は刻刻と変化していくのだ。

 

明治神宮 その1

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明治神宮 その1

 東京の新コロナの流行はすごい。

 連日500名以上のコロナの患者さんが出る。

 こんな中で東京見学に来る観光客がいるのだろうか。

 横浜から東京の渋谷に用事があったので、行ったが、その帰りに東京見学がしたくなった。

 この間は靖国神社に行ったので今回は明治神宮にお参りしよう。

 明治神宮は日本で一番参拝者が多い神社である。

 今年の正月は、3蜜を避けて、元旦の参拝も、ずらしておこなって下さいと政府も行っているので、来年の祈念を11月で少し早いが、行こう,行こう。

 渋谷から山手線で一駅、原宿に着く。

 原宿の駅のすぐ右側が明治神宮だ。 左側は若者の街、原宿どうり。

 若い女性が、俺には訳の分からない、派手の服装で、わいわい、ざわざわ騒がしい。

 我が家の小学生の孫娘が、横浜に遊びに来た時に、プレキヤとかいうものを買うために、原宿に行くといった時には驚いた。

 今や、小学生にしても、何とかスタイル、にあこがれる時代になったのだ。

 時の流れか。

 新コロナの警戒時なのに、原宿とうりは、若い女性のお客が、多数いた。

 しかし、どんな状態でも、若い女性は輝いているな。

 あの子たちは、これから、どんな人生を歩くのだろう、

 ジージーは、いらない心配をする、

 その点、原宿駅右側の明治神宮は時代の流れを感じない、厳かな雰囲気で存在する。

 神社のとうりの、前に行くと 今年令和2年11月1日に明治神宮100年祭を行った看板が出ていた。

 明治は遠くなったが、100年を過ぎたのか。

 それは、間違い。

 明治22年に建てられた神社なので、今年は明治何年になるだろうと、年齢早見表で調べたが、明治の年号は、もはや記載されていない。

 大正時代の年齢は記載されていた。

 もう、明治時代に生まれた、日本人は、存在しないのだろう。

 明治時代に生まれた人が、原宿の若者を見てなんていうのかな。

 今どきの若者は、―――――

 俺と同じことを言うに違いない。

 アメリカのペリーが黒船に乗って、江戸時代に現れたときは、同時の人々は、さぞかし驚いたことだろう。

 そういう俺も昭和の生まれ。

 時代は刻刻と変化していくのだ。

 

ジージーの遺言

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ジ-ジーの遺言

 これまでの人生で、何十冊もの、人生論の本を読んだ。

 その本の、ほとんどの結論は、そのうち何とかなるさ、という解答であった。

 植木等の、そのうちなんとか、なるだろう、という歌を思い出す。

 トンチの和尚さんの一休さんも、死ぬ間際に、どうしても困った時は、この遺書を見るといい、死んでいった。

弟子が困ったときにその遺言を開けてみると、やはり、そのうち何とかなるでしょうと書かれていたという、本も読んだことがある。 

 人生気楽に考えた方が長生きするのだ。

 朝に気持ちよく起きることが出来ない。どうしたらいいですか。

 早く寝なさい

 22時には、ベットに入る習慣を付けなさい。くだらないテレビやDVDを深夜まで見る習慣を辞めましょう。

 俺の友人には18時に寝る習慣の人もいる。

朝3時から元気に、目ざめて、仕事をバリバリやっている。

 その人が、深夜に眼が覚めてしまうのだよ。 と嘆く姿には笑ってしまった。

 朝ごはんがおいしく食べれません。

 答えは、朝ご飯は、食べなくてもよい。

 戦後昭和20年代は食糧難の時代であった、

 サツマイモの茎や、かぼちゃ、ジャガイモが主食の時代に育ったものには、食事や美味しいものを食べたい、食べれないという悩みは、ありえない。

 彼女や彼氏に振られて、悲しいです。

 すべてあなたの性格、行動、言語が原因です。

 自分の性格に合う、彼氏、彼女を探しなさい。

 星の数ほど男と女は存在します。

 日本人がダメなら外国人を探しなさい。

 生きる希望がありません。

 それなら悩みなさい。

 悩む時間も大事です。

 黙っていても時が過ぎれば、寿命がやってきます。

 友人、知人、姑関係について悩んでいます。

 貴方はあなた以外にありえません。

 自分の行動に自信をもって、元気よく頑張って下さい。

 そのうち、いいことも起きるでしょう。

 このように、そのうちどうにかなるさ的に考えれば、人生すべて楽しい事ばかりになる。

 とは、いうものの、人間である以上悩みは尽きない。

 ゴルフをいくら練習しても、どうしても1〇〇を切れない。奥さんの小言が気になる。

 お酒の量が少なくなった。

 もう少し飲みたいが明日の朝の、二日酔いが気になる。

 コロナが気になるが、マスクは、うっとうしい、

 そのうち何となるさ、俺も元気に頑張ろう。

星に祈れば

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星に祈れば

 11月になると、夜空の星が綺麗に見えるようになる。

 空気が寒くなり透き通ってくるからだ。

 夕方日が沈む西側には、宵の明星,金星が一番星として現れる。

 東側には木星と月が登りだす。

 特に三日月様とお星さまのコラボは楽しい。

 花王石鹸のマークになる。

 さらに暗くなると。オリオンや北斗七星が輝きだす。

 星の輝きを見渡すだけで気持ちがすっきりする。

 なんとなく、デイズニのピノキオの音楽を思い出す、

 トロッコ型のライドに乗ってピノキオのストーリーは始まる、

 おじいーさんが作った操り人形であったピノキオが冒険を重ねて、人間に変身する物語。

 愛と勇気の物語。

 誘惑に負けて怠けるピノキオ。

 嘘をつくと鼻が伸びてしまう・。

 ピノキオを探しにでかけた、オジーさんはクジラの腹の中。

 助けに行ったピノキオはクジラの腹の中でたき火をして、くじらが、ハーハークションと言って,掃き出し脱出成功。

 暴れるクジラがオジーさんを攻撃する。

 勇敢におじいさんを助けに行ったピノキオは、岩に打ち付けられて、死んでしまう。

 これを見た神様は、ピノピオの勇敢な姿を見て、人間として生き換えさせる。

 楽しいデイズニの―アトラクション。

 そのピノキオの主題歌が素晴らしい。

 

 輝く星に心の夢を

 祈ればいつか、かなうでしょう。 

 キラキラ星は不思議な力、

 貴方の夢を照らすでしょう。

 人は誰も一人

哀しい夜を過ごしてる。

星に祈れば さみしい日々を

ひかり照らしてくれるでしょう。

 

何度聞いても心に響く歌。

夜空の星に俺の夢を祈ってみるか。

俺の夢は何か。 

 健康でぴんぴんころりと星になることか。

 ゴルフで100を切ることか

 奥さんと仲良く暮らすことか

 今日のおかずで、焼酎の水割りを3杯飲むのか。

 夢を大きくするか。

 宇宙飛行士になって,宇宙に行きたいな。

 もう、能力も体力もなくなっているのか。

 そのうち、寿命で空の星になるのか。

 夢は尽きない。

 

宇宙飛行士 R2年

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宇宙飛行士 R2年

文部科学省宇宙航空研究開発機構は10月23日、来年秋ころに宇宙飛行士を新規に募集すると発表した。

 13年ぶりの新規募集になる。

 宇宙飛行士の定年は60歳。

 現在活躍中の宇宙飛行士は10年後に2名になる。

 11月に宇宙ステーションに6か月滞在する野口さんは現在55歳、この前船長になった若田さんは、57歳。

 古手の宇宙飛行士が元気のうちに、後輩を作らなければいけない。

 文部科学省は今年7月、アルテミス計画で建設する、月周回基地ゲートウエイに、日本人飛行士を滞在させることでアメリカと合意。 

 20年代後半以降に月探査に参加する。

 新宇宙飛行士は月に初めて降り立つ日本人として歴史に名を残す。

 募集人数は若干名。

 5年に1回程度、追加募集もする。

 過去5回の試験は、倍率500倍を超えた時もある。

 宇宙飛行士の試験は一般教養、英語の筆記試験の他に、心理適正検査、医学検査などがある。 

 その他、協調性、責任感、機敏性、アイデアマン、などで宇宙の中での、ストレスに耐えるスタミナ等、人間の総合性が問われる。

 宇宙飛行士山崎直子さんの本によれば、心理適正検査で,桃太郎と、浦島太郎のどちらが好きですかという問題があったという、

 桃太郎は鬼の征伐という、目標に向かってしっかりと進む、非常に合理的な人物、

 部下の猿、犬、キジ、は、奇襲攻撃、地上戦、情報収集、空軍等、戦いの基本・。

 キビダンゴは軍資金。

 浦島太郎は,桃太郎とは、まったく反対。

 竜宮城でタイやヒラメと乙姫様とたっぷり楽しむ。

 乙姫様から、開けてはいけないという、玉手箱を貰ってくる。

 それを、淋しくなった浦島太郎は開けてしまい、おじいさんになってしまう。

 楽天的、無邪気さ、人生を楽しむ人物。

 どちらを選んだ方が、宇宙飛行士に適しているか。

 答えは、浦島太郎の方だという。

 浦島太良の性格は俺にもあるので、俺も宇宙飛行士の心理適正検査に合格する。

 そんな、選抜を受験して合格しても、審査は続く。約1年かけて、英語能力や飛行士の適性を問う、試験の後、選抜数名。

 その後も約2年の基礎訓練をこなし、飛行士に認定される、

 飛行士誕生まで激しい訓練の道が続いている。

 その訓練には、俺はついていけない。最初の教養試験も能力はない。

 月に行くのはあきらめた。

箱根ゴルフ

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 箱根ゴルフ

 友人からゴルフの誘いがあった。

 ゴルフは大好きだ。

 現役で50歳のころ、鹿児島空港で3年間勤務したころから始めたゴルフ。

 当時会社のYS-11の乗員室が鹿児島にあり、鹿児島を中心にして南の島々や鹿児島大阪、四国、九州、その他へと飛行していた。

 会社はYS―11からジェット機と移行する時代になる。

 YS-11は、退役の運命になる。

 従って、会社の鹿児島基地はいらなくなる。

 そこに住んでいる、乗員やその他の人は、別の会社か、東京、大阪の基地に移動になる。

 一口に移動と言えるが、それぞれ個人には、事情があり、なんだかんだと問題が多い。

 その時代の、ややこしい問題は下っ端管理職の俺の仕事になった。

 難しい問題には解決策はない。

 ゴルフでもして、考えましょうと鹿児島の乗員といつも、ゴルフに行った。

 当時ゴルフブームで東京では、ゴルフ料金は何万円もしたが、鹿児島では何千円で出来た。

 もちろん俺は、ゴルフは、初心者。

 俺は50歳までゴルフをしたことがなかった。

 初めてゴルフ場に行った時は感激した。

 景色が素晴らしい。

 昭和30年代に熊本の水前寺公園に行ったときは、景色のすばらしさに感激したことを思い出す。

 細川の殿様が作った公園、水前寺公園

 池と緩やかな起状の作られた、小さな山や浮石、木々が配置された公園。

 入園相は、現在400円らしい、

 その感激した公園に似た風景がゴルフ場には、あちこちにある。

 へたゴルフをしながら、ゴルフ場の自慢の風景を楽しむだけで、心が和む。

 そんなわけで、ゴルフのとりこになった俺は、老齢になっても、今だに、年間なんかいか、ゴルフに行っている、

 さて今回の友人との箱根でのゴルフ。

 頑張りました。

 それにしても、玉が飛ばなくなった。

 女子のプロゴルファーは8番アイアンで150ヤードを打つ。

 俺は8番アイアンアで100ヤードしか、飛ばない。

 なんということだ。情けない。

 体の筋肉の衰えか、

 そんなことを、言いながら箱根のゴルフを楽しんだ。

 箱根の山々の緑は素晴らしい。

 紅葉もある。

 熊本の水前寺公園よりも劣るが、素晴らしい景色を眺め、まだゴルフが出来る幸せを感じた。ゴルフのスコアーなどは。どうでもいいさ。