一万時間という数字

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 1万という数字

 俺の住む町内では、毎週回覧板が回って来る。

 町内の出来事、横浜市の会報、区からの会報,神奈川県からのお知らせなど、が回覧板の中にある、

 そのお知らせの後ろの方に学校だよりとして、毎回近くの中学校、小学校の出来事、予定などのお知らせもある。

 そのような情報をチェックして我が家は見ましたと印鑑を押してお隣さんに回覧板を回す。 この回覧板を回す役割がいつの間にか、俺の役割になってしまった、

 何で俺が  まあーいいか

 その回覧板の中の学校だよりの中に、校長先生のお話が載っていたが、いい話があった。  

 何かの出来事に刺激を受けた時、これをやりたいなと考える人が100人いたとすれば、実際に始める人は一人だそうです。

 さらに始めた人が100人いたとすると、それを長く続ける人は、やはり一人、つまり何かを長く続けられる人は、1万人に一人になる。

 意欲をすぐさま行動に結びつけ、強い気持ちで継続させていくことが1万分の1になる。

 さらに世界的なピアニスト、将棋,囲碁の名人、トップアスリート等芸術スポーツで活躍できる人になるには、とりあえず、1万時間の練習時間が必要、

 1日に3時間、毎日練習する、1年で千時間、10年休まずに続けると1万時間、

 その努力の積み重ねで、初めて1流の仲間入りができる。 

 一番困難なのは、最初の1歩を踏み出すこと、子供たちに様々な刺激やきっかけを与え、初めの1歩を踏み出すことが出来るようにそっと、背中を押してあげる、大人になりたい。 そんなことが記載されていた。

 なかなかいいことをいうな。

 1万時間か。

 昔からの教えに石の上にも3年という言葉がある。

 松下電器松下幸之助会長のころの丁稚時代には、1日10時間、一生懸命励めば、3年で1万時間になる。何とか、使い物になる。

 それで、石に上にも3年か。

 だらだら、サボって勤務する現代の若者には、3年では、とても足りないかも。

 俺の趣味の剣道について考えた。

 俺は、いつも相手にやられてばかりいる。

 当然なのかもしれない。

 毎週2回 2時間くらいの稽古時間。

 1か月、8時間、1年に80時間、

 10年で800時間、40年間で3千200時間か。

 1万時間には、ほど遠い。

 それも、サボりサボりの稽古だものナー

第一熱意が足りない、

健康のためとか言って、自分に甘い。

子供達には稽古をしろというくせに、自分は、お酒を優先して、毎日稽古はしない俺

 相手にボコスコ打たれて当たり前の、稽古時間なのだ。

 毎日素振りをしなければ、子供にもやられるぞ。

 頑張れ老体―――

 まあいいかー 楽しければ。

 健康で今日もおいしく、お酒を飲むことが出来た。

 

バレンタインデー   義理チョコ

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 バレンタインデー。義理チョコ

 ピンポーンとインターホンが鳴り外に出て見ると、いつも剣道を教えている小学生の女の子供がいた。

 先生、このチョコレートをどうぞ。

 見れば、パンダの顔をしたチョコレートが、きれいな入れ物に入ったチョコレートがあった。

 俺にくれるの。 ハイどうぞ、自分で作ったの。

 ありがとう。 嬉しいな。

 そうか、コロナで何もかにも無茶苦茶になっているが、今日は、バレンタインデイか、

 チョコには張り紙が付いており、

 いつも剣道教えてくれてありがとうございます。 これからもよろしくお願いしますと書いてる。

 ありがとう、ありがとうとお礼を言った。

 長年剣道を続けていてよかったと思う瞬間でもあった。

 小学生の女の子が一生懸命自分で作ったチョコレート、食べるのはもったいない。

 机の上に置きしばらく眺めることにする。

 そういえば、少し前までは、我が孫娘や家内までも、俺に義理チョコをくれた、なつかしい時代もあったなーー

 現在は、ジジーの俺には、身内の女性は誰もふり向きもしない。

 ひがみ根性もでる。

 バレンタインデーは、元々は豊年を祈るキリスト教の行事。 

 ローマ帝国時代、若者の結婚が戦争のため禁止になり、バレンタイン牧師が内緒で結婚式を行い、バレて、処刑になった日。

 この日、女性が名前を札に書いて箱に入れる。

 この札を引いた男性と交際、結婚できた日。

 チョコレートを贈る習慣は、なかった、

 いつの間にか、デパートの宣伝に乗り、女性が男性にチョコレイトを贈る日のキャンペーンに、乗ってしまった日本。

 そして義理チョコ、友チョコ、逆チョコまで、できた。

 台湾のバレンタインデーは2回もある。

 それも男性から女性に贈り物をする日。

 花束やマフラー ケーキを男性が女性に贈る。

 義理チョコの習慣は、ないらしい、

 韓国では、誰からもチョコを貰えなかった男性のために、ブラックデーもある。

黒い食べ物を食べて、淋しくブラックコーヒ―を飲む男性の日だそうだ。

 何はともあれ俺は、この年齢でまだ、義理チョコを貰えたのだ、

 つくづく、もらったチョコを眺めていると、パンダの顔をしたチョコは、俺にくれた小学生の女の子の顔に似ている。

 かわいいな、――

 食べるのは、もう少し延ばそう。

 ありがとうございました。

飛行機日誌 俺の命

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 飛行日誌  俺の命

 終活のため、整理をしていると、古い飛行機日誌が出てきた。

 俺が初めて、飛行機に、障った時の記録である。

 飛行学生になり、地上で2年間の飛行基本訓練を受けたが、おかげで強い体と。少しばかりの飛行知識を身に付けての、飛行実機訓練である。

 最初に、俺が飛行訓練を受けた飛行機は、メンターという、2人乗りの飛行機であった。

 前席に学生、後席に教官が乗る。

 セスナ機の一番小さい型式であるが、プロペラ機でこのような訓練機は、現在はない。

 当時は、この飛行機で、限られた少ない時間内で一人で飛行できないものは、首、パイロットにはなれなかった。

 そのため、俺なりに死にもの繰りで勉強したものだ。

 その記録が、この飛行日誌。

 懐かしい、若き頃を思い出す。

 飛行訓練を受けてその、評価を、教官が訓練終了後、いろいろ教えてくれる。

 それを、一言でも聞き逃さないように、メモして、明日の訓練に生かすための日誌。

 そして、その日のフライトの感想も記入する。

 初めてメンターで空を飛んだ時には、俺の感想文では、かなり興奮して書いてあった。

 空はいいなーー 俺も空を飛んだんだと。

 その後の日誌には教官から、怒鳴られ蹴とばされ教えられたことが、書いてある。

 上空での各項目の手順を忘れる。

 馬鹿者。 お前は首だぞ。

 パイロットの3割頭というのが教官の口癖であった。

 上空に上がると酸素不足のためか、地上で何十回も手足を使って、訓練して覚えたはずの、手順がすべて忘れてしまう。

 不思議な現象だ、

 おぼえていた物の7割は忘れてしまうのだ。

 元々、脳みその良く発達していない俺の頭は、今でも3割頭。

しかし緊張感がなくなり、飛行機になれ、空中に慣れてくると、自然と各項目の手順が身に付き、飛行機は空中で安定する。

 その結果、教官から今日は一人で飛んで来い、と言われた時の感激は、忘れることが出来ない。

 ヤッター 俺は一人で空を飛べたぞ。

 

 俺の命

 空にあこがれ

 空を駆けていく、俺の命はジェットストリューム。

俺の命は飛行機雲。

 

 空に抱かれて、風と戯れ、雲と遊ぶ。

 飛んでけ、飛んでけ、地球の果てまで。

 飛んでけ、飛んでけ、宇宙の果てまで

 (作詞、俺)。

 

 なんだかんだと、注意され、怒られながらも、ヨチヨチ歩きで空の仲間になれた、時の飛行日誌。

 処分しようと、ごみ箱に入れたが、又取り出してしまう。

 なかなか、終活は出来ません。

吾妻山 ローラー滑り台

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R3年 吾妻公園 ローラ滑り台

 1月下旬 菜の花が見たくなった。

 そうだ 二宮にある吾妻公園に行こう。

 我が家から車で1時間で行ける。

 天気も良いし、今日は気温も高い。

 吾妻山は高さ、136,2M、駐車場からおおむね40分で登ることが出来る。

 行こう、行こう。

 家内と一緒に出かけた。我が、ポンコツ車のナブに、二宮の役場の電話番号で行き先をセットした。

 無事に二宮役場に到着。いつもの吾妻山公園駐車場とは、異なる場所だ、

 役場の駐車場は、広い、ガラガラ。

 ここなら、駐車してもいいだろうと、自分勝手に解釈した。

 遠慮して広い駐車場の隅に我がポンコツ車を駐車した。 周りを見ると、ここは吾妻公園の駐車場ではありません。

 公園利用者は、なんとか施設の吾妻山公園駐車場にお願いしますと。書いてあったが、見ないふりをして、そそくさと、役場のすぐ近くの、吾妻山登山口へと急いだ。

 この役場前の登山口からは、30分もかからずに吾妻山、山頂に行ける。

 ヨタヨタ歩きの家内を励ましながら、山頂へ到着。

 晴、雲なし、富士山が綺麗に見える、キラキラ輝く相模湾の海、山のぐるり360度は絶景の大景観である。

 目的の菜の花も満開、山頂への道端には、スイセンの花も咲いていた。

綺麗だな、山頂では幼稚園の子供たちが、大はしゃぎで遊んでいる。山頂には長い滑り台があり、子供が滑っていた。

突然、家内が私も滑り台を滑ると言い出した。

止めなよ、あなたは、脊柱管狭窄症で苦しんだでしょう。

今も杖をついているでしょう。

いいの、私の人生、

今日は老婆の休日、(ローマの休日

俺が言っても聞きやしない。 勝手にしな。

 吾妻山にある滑り台は、ローラ滑り台で102M,傾斜10度もある。

子供無料、大人100円であるが、今日は監視員がいないので、誰もお金は払わない。 

家内は、ヨタヨタしながら、ケツに敷物をしいて、滑りだす。

 ジージーも家内の保護者で滑ることにした。

 ローラー滑り台は早い、足でブレーキを掛けながら、家内の後を滑り出す。

 100Mは、長いが一気にすべることが出来た。

 家内の脊柱管狭窄症が再発するのを、心配したが、楽しいな。

 思えば、大人になってから、俺は滑り台を滑ったことがなかったな。

 子供のころは、終戦後で滑り台のある公園もなかった。 無茶苦茶行動の家内にため、楽しく長い滑り台を,体験できた、

 茨城県のきらら公園の滑り台は877M,子供の国公園(110M)にも、長い滑り台がある、

 後期高齢者は、この滑り台は、滑っては、いけませんの看板もなかったな、

 怪我無く、思わぬ楽しい滑り台の体験が出来たことに感謝。

 

R3年 節分

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 R3年 節分 

 2月のカレンダーを見たら2月2日が節分と書いてあった。 

 アレー 3日の間違いじゃないのか。

 疑問に感じたら調べなさい。ハイハイ。

 剣道の子供たちにいつも偉そうに,話している俺。

 さっそく調べたら。カレンダーの2日節分は間違いなし。

 1897年(明治30年)以来124年ぶりに2月2日が節分になるという。

 地球と太陽を回る周期と暦のずれによるもので。2022年から3年間は3日に戻るが、25年には、再び2日になる。

 なんで―そうなるの。

 地球が太陽の周りを廻る公転周期は、365日と6時間弱、4周するには4年と1日必要。

 それで4年に一度はうるう年で2月が29日まであるのか。

 ところがこの補正で約45分増やしすぎとなるため400年の間にうるう年を3回減らして、帳尻を合わしている。

 こうした暦のずれと補正の繰り返しによって、立春などの日付が変わる。

 節分も2月2日から4日の間を行き来してきた。

 1984年は、2月4日が節分だったらしい。

 1984年は、俺は何をしていたのか、

 昭和59年か、俺の45歳の年か。

 現役で、ジェット機移行訓練で頭が一杯で、節分等の行事は、考えられなかった時期だな。

翌85年から2020年まで2月3日が節分だった。

 今後しばらくは、うるう年の翌年には、2月2日になるという。

 必ずしも2月3日は節分でないのだ。

 初めて知った。 そうなんだ。

 節分の日は旧正月だったな、

 子供ころの田舎では、正月を2月に行う、ところもあったものだ。

 中国、台湾、韓国では今も2月が正月だ。

 2月2日の節分には、豆をまくか。

 福は内、鬼は外、コロナは中国に帰れ。

 高知県や埼玉県では、鬼も内と言いながら豆をまくらしい。

 何でも受け入れる、日本人の気質を表している。

 子供達が小さい頃は、豆と一緒にお金もまいた。

 時には、お札のお金がいいなと、言った子供は誰だ。

 コロナの緊急事態宣言が無くなるように、願いを込めて、豆まきをしよう。

 福は内――― 鬼は外―――

 コロナも外――――



大寒 R3年

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 大寒 R3年

 コロナの流行もすごいが、1月のこの時期は、寒さも増してきた。1月5日が寒の入り、20日大寒で2月2日の節分まで寒い日が続く。

 数年前までは、子供たちと一緒に大寒のある日の1週間は、剣道の寒げいこをしていた。

 朝、学校前の6時から7時までの1時間の稽古である。

 寒くて泣く子供もいた。

 先生は泣きたくても泣けない。

 6時開始なので、朝5時には起床しなければ、稽古に間に合わない。

 子供達よりも、先生と呼ばれる俺たちや、子供のお母さんには、寒くて大変な寒げいであった。

 寒げいこの最後の日曜日には、1週間の出席率によって、金銀銅のメダルで表彰式をおこなった。お母さんたちの作ったお汁粉もあったな。

寒げいこ終了時には稽古中は寒さで泣いていた子供も、1週間、やり終えた、ことによる自信がつき、ますます元気が溢れていた。 

 その寒稽古は、ここ数年実施していない。

 そろそろ復活しようか。

 ところで、日本で一番寒い、所は、どこだ。

 北海道、旭川でマイナス41度Cの記録がある。

 道南の陸別町も冬の気温の平均がマイナス20度である。

 北海道の言葉の、しばれる町だ、

 星が綺麗に見えるところで、オーロラも見える時もあるらしい。

 南極では、マイナス93度の記録もある。

 北海道の冬は寒さが厳しい。

 現役で北海道宿泊の時は、地面が滑るので北海道用の滑らない、靴を履いて、分厚いコートで夜の街をぶらついたことを思いだす。

 眉毛や鼻毛も凍ったものだ。

 それまでして、飲み歩かなければ、良かったものに。 

 今更、反省しても始まらない。

 漫談家のケーシイ高峰という人がいた。

 俺の田舎の高校の先輩で、自宅はお父さんも、お母さんもお医者さん 。

 本人も医学部に入学したが、勉強が嫌になって、漫談家になる、 その話。

 南極では、寒くて外でお話をすると、声が凍って糸の様に、たなびきます。

 あれ、さっき何を話したか、忘れると、凍った声の糸をたぐりよせ、忘れた声の部分を温めると、声となりしゃべりだします。

 馬鹿― そんな、こと出来るはずないではないか、

 アッハッッハーー

 寒さもコロナも早く通り過ぎることを、お祈りします、

緊急事態宣言と剣道稽古

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緊急事態宣言と剣道

 新型コロナの流行拡大は治まらない。

 とうとう1月7日には、政府は1都3県に緊急事態宣言を発行した。

 もちろん俺の住んでいる横浜も含まれる。

 飲食店は8時までお酒は7時まで。

 人と人の距離は2メートル。

 4人以上の会食禁止。

 その他、多数の人の行動の制限事項が並ぶ。

 大変だ。

 9日のわがクラブの剣道はどうしよう。

 さっそく、クラブの面倒を見てくれる、0先生から電話があった、

 どうしますか。やりますか、中止にしますか。

 わがクラブは、元旦には恒例の元旦稽古は無事に神社に奉納素振りを納め、お祓いは終わっている。

 どうしようか、子供たちも、元旦には、今年も頑張って稽古しようと張り切っているしな。

 稽古の時間を早めて、今まで以上に、換気や消毒をして、なるべく人と接触しないようにして、実施しましょうか。

 そうしよう、そうしよう。

 剣道の稽古は、基本稽古、互角稽古、試合稽古などがある。

 人となるべく、接触しない、基本稽古と打ち込み稽古をしましょう。

 9日のわがクラブの、鏡開き稽古(年の初めに行う初めての稽古)は無事に終了した。

 その後、いつも使用してる、学校の方から連絡があった。

 武道など、近距離での組み合いや接触での活動自粛、

 大声での発声による活動不可。

 剣道では、大声を出すように指導しているが、小さい声でもまあいいか、

 剣道稽古の時間をさらに少なくして、基本稽古、打ち込み稽古。剣道形をやりましょう。

 O先生に、メールした。

 そうしましょう,納得してくれた。

 ところが、1月13日には、大阪地区、名古屋、福岡までが、緊急事態宣言を出す。

 東京は連日コロナ患者が2千人、神奈川県も千名近くのコロナ患者の発生。

 テレビでは、管総理や西村大臣、知事が外出は、昼も夜もやめてくださいと訴える。

 4人以上で国会議員が飯を食べただけで

週刊誌や新聞に出る。

 我、町の近くでもコロナが発生したという噂もある。

 大変だ。 入院する病院も満杯らしい。

 次の、わがクラブの稽古はどうしよう。

 またもや、O先生に電話した。

 次の稽古は、緊急事態中なので、残念なのだが、中止にしましょうか。

 O先生も納得してくれた。

 従ってわがクラブは、緊急事態宣言中は、小学校での稽古は中止に正式に決定した。

 子供達は自宅で一人稽古をしてくれるかな。

 剣道は竹刀を振っただけ、強くなるのだ、

 是非、素振りだけは続けてくれ。 コロナの鎮まるのを祈ります。