そう婦岩 硫黄島
そうは、女変に霜と書く。PCの漢字にはない。
新聞の広告にチャータクルーズの計画が載っていた。
絶景と奇跡の島と小笠原諸島へ、
今年の8月21日から8月26日まで。
横浜港発、豪華客船で。
船中泊5泊で23万円から96万円か。
外の見えるバルコニー付きの部屋は50万円か。
その広告の中に太平洋上に突如現れる約100Mの1枚岩の島。そう婦岩とある。
海上自衛隊の哨戒機に乗務していた時に、よく見た島である。
海上自衛隊の下総基地勤務の時代昭和43年に小笠原諸島を含む硫黄島がアメリカより返還された。
栗林中将率いる日本軍と、アメリカ軍との壮絶な戦いの在った島である。
返還後は海上自衛隊の航空基地になっている、
日本軍2万人、アメリカ軍2万近くの戦死者を出した。
アメリカ軍は4日で制覇しようとしたが、日本軍の反撃がすごかった場所だ。
日本本土を護ろうと戦死した、先輩の事を忘れてはいけない。
硫黄島は返還時アメリカ軍の通信基地があり、航法で使うロランという、電波を発する基地でもあった。
当時は、GPSなどはなく、飛行機や船舶は星や太陽の位置を測定して自分の位置を確認してた。 ロランの電波は天測位置よりも制度が良かった。
硫黄島、返還前に、米軍と返還時の打ち合わせのため、頻繁に下総基地から、当時の海上自衛他のえらいさんを乗せて、哨戒機で行った。
当時、俺は,2等海尉、機長。下っ端の機長、
返還前、哨戒機で誰も行ったことのない硫黄島には、真っ先に乗務するよう命令された。
返還時の式典などに関する時は、部隊のえらいさんの機長がなる。
事前に地図などや、硫黄島の資料を勉強したが、参考になるような、これという資料は、なかった。
まあ、行けば何とか分かるだろう。
下総基地を離陸して、有視界飛行方式で硫黄島に向かう。
途中天候が悪く雲の壁が行き先を立ちふさがる時もあった、
その時は海面すれすれに飛行する。
哨戒飛行と同じだ。
海面風や、飛行機が基準進路から何度ずれているか、偏流測定器で測定しながら硫黄島に向かう。
その時海上で、突然目の前に現れた100M の奇岩。
なんだ、あの島は、地図を調べたが出ていなかった。
それがそう婦岩である。
当時の米軍の兵隊さんがかぶっていた帽子に似ている。
米軍の兵隊さんの顔に似ているな。
部隊内では、スミス岩という名前にした。
当時の米軍には、スミスさんという名前の人が多かったからだ。
スミス岩を過ぎると間もなく、硫黄島に、到着だ。
スミス岩、そう婦岩、懐かしいな。