現役時代の食事
最近我が家では平和な日が続いている。
平和の日とは、俺が奥様と喧嘩もせずに、過ごせる日を意味する。
又、俺の健康もまあまあな日を意味する。毎年、春になると決まって、鼻水が出る風邪には今年はならなかった。
コロナの影響でマスクをして、こまめに手ありをするからだろう。
毎年、季節の変わり目に出る、涙が出るほど痛い痛風も出ない。
元気が枯れてきたのか。
という訳で平和な日である。
平和な日が続くと頭の方がボケてくる。
今日は4月何日だっけ、何曜日だっけ、
脳みその働きは微妙だ。
そんなボケ頭でも、つまらない昔のことを
思い出す。
今回はブログに現在の俺の朝飯や昼飯のことを書いたせいか、現役時代の弁当のことを思い出した。
当時は、朝出発時間の時間帯でも弁当が出たものだ。
早めに出勤して朝飯の弁当を食べたかな、
定かでない。
昼飯の弁当は、はっきり思い出す。
12時から13時に飛行している勤務の時は、必ず弁当があった、
12時50分で仕事が終わる時には弁当がない。
腹減ったといっても、自分で調達しなければいけなかった。
弁当を、飛行中仕事をしながら食べれるのは、条件による。
悪天候の中では、弁当を食べる暇がない。
安全運航、安全運航。
揺れもひどい時などは、食べている弁当が吹っ飛んでしまう。
飯も食わずに仕事しろ。
それでも穏やかな気流で、輝く太陽の光を浴びて飛行中下界の景色を見ながら、空中で食べる弁当の味は最高だったな。
当時の乗員組合の力は、現在よりも、強かった。
毎日同じ弁当は飽きる。別な弁当を食べたい。
労務交渉で、ダダをこねる、
会社の、労務担当のえらいさんは、地上勤務の我々は弁当などありませんと答える。それはそうだが、空中には食堂はありませんと組合員。
会社はしぶしぶ妥協して、秋田の、わっぱ飯、北海道帯広の北海弁当、女満別のホタテ弁当を手配してくれたものだ、
その弁当を食べたいと思い、秋田空港行きや、帯広空港行の勤務を希望した乗員もいる。
北海道の大きな鮭が弁当の上にデンと乗っている弁当を、思い出す。
食い意地の張っている僕ちゃん、
今日、デパートで北海道名物の売り出しのチラシが今朝の新聞に入っていた。
買い物に行きましょう、奥様、