天草時代の友人 その1.
退屈な午後、ぼんやりと、テレビを見ていたら、携帯電話が鳴った。
もし、もし、キャプテンですか。
エッ、どなたですか。
天草のFです、その後、キャプテンはお変わりありませんか。
嗚呼、Fさんですか。20年ぶりですね。
どういたしました。
今度、家の息子が結婚しました。
相手は、キャプテンも、知っている天草崎津のKさんの娘さんです。
えー、良かったですね、おめでとうございます。
これもご縁ですねとFさんのお話は、弾んで止まらない。
懐かしいなーー
20年も経過しているのに俺の事を覚えてくれているのだ。
キャプテンだと。
懐かしい言葉だ。
最近は家では、クソオヤジとか、クソジジイと呼ばれている俺を、キャプテンと呼んでくれる。
感激だな、20年前、熊本天草に、千Mしかない空港が出来た。
大型機は離着陸できないので、小型機のDH=8という飛行機が運航する。
それもたった、1機での運行だ。
当時は、直ぐにつぶれると、噂されたが現在も元気に運航している天草エアライン。
H12年、60歳定年になった俺は、法改正で63歳まで定年延長が決まったので、3年間飛行出来るようになった。
それで、天草エアラインの開発要員で3年間勤務した。
その時に宿泊していたホテルの支配人のFさんだ、
天草市内のマンションを探して、ホテルを出るつもりが、ずるずると3年間ホテル生活をした、
それは、Fさんの特別な計らいで、通常料金よりも安く宿泊できたからである。
ホテルで毎日お会いして話をすると、妙に気性が俺と合う。
天草エアラインの勤務は、きついスケジュールの仕事であったが、時には、お昼で終わる勤務もあった、
ホテルに帰り、Fさんと会うと、キャプテン、ゴルフに行きましょう、誘われ、近くのゴルフ場に通ったものだ。
もちろん、Fさんは、携帯電話ででゴルフ中も、仕事をしている。
ゴルフの技量は、俺と同じ。
今思えば、加減して、俺のゴルフ、技量に調整してくれたに違いない。
そのゴルフでは、いつも賭けをする。
1打、100円。
つまりトータルスコアで、負けた方が支払う。
今日は、300円負け、昨日は2百円勝。
楽しくゴルフをしたものだ。
懐かしいなーーーFさん。