北陸の旅 その2
さてさて この出だしは、いつも楽しく読ませてくれるブロブの作者が使用する用語です。
さてさて と書くと次の文章がなぜか書きやすくなるので、私も真似をして。
さてさて
まずは縁結びで有名な気多大社へ
かって、孫たちと来たことのある神社で懐かしかった。
今更、縁結びには、関係ないが、家内安全を祈願した。
更に2千年の歴史のある二宮神社に行くと、宮司さんから、神社の歴史の説明があった。
この神社の地下には沢山の水流があり、神社の下にある村落の田んぼの水は豊富とのことである、お米もおいしいお米になるとう、
又、どぶろく神社とも呼ばれている。
そいう言えば、昔山形の田舎で生活していたころには、どこの家でも、内緒で、どぶろぐを作っていた。
酒税法では、どぶろく製造は禁止になっており、昔、山形の田舎でドグロク製造の摘発を受けたニュースを何度か聞いたことがある。
しかし神社などで宗教的にドブロクを作るのは許可されるという。
原則的には、自家酒造は禁止だが、特定地域には、行事、祭りに使用する場合は、許可されるという、
現在では、どぶろく酒造での警察での摘発のニュースはないので、当局もドブロク製造には、多めに見ているのだろう。
美味しい米と麹と美味しい水があると、誰でも簡単に製造できるドブロク。
さっそく、能登島のガラス工房のあるドライブインで購入して、横浜に帰って飲むことにしよう、
能登島のガラス工房も孫と来たことがある場所であった、孫はガラス工房の前にある、丘の上から芝生の上を滑り台の様に滑っていたことを思い出した。
さてさて
3日目は時の流れを忘れたように、たたずむ合掌造りの集落白川郷へ
昭和20年代、東北の田舎は、ほとんど、この白川郷のような藁ぶきの家だった、
家の中には大きな囲炉裏があり、煙たい、煙に巻かれたものだ、囲炉裏の真ん中には鍋が掛かっており、今夜のおかずが煮えていたな。
そういえば、私の宿泊した田舎の親戚の家では、家の中に馬やも、あったことを思い出した。 昭和20年初期には、長靴も藁であったので、足は、しもやけになったことまで、思い出す。
現在の日本は、この藁ぶき屋根の時代に比べ、ずいぶんと平和で豊かになったものだ。
そんな俺の少年時代を思い出させてくれた白川郷の眺めであった、
美味しい富山湾スシ、高志の紅カニを食べて、富山空港から羽田へと無事、旅は、終了した。
3日間ともお天気に恵まれ楽しい旅であった。