踵のひび割れ

f:id:tojnnejp:20220204101001j:plain

我が家の梅の花

 

足の踵のひび割れ

 あーあ、年は取りたくない。

 年齢を重ねると、体の水分や油気が少なくなる。

 従って木が枯れるように、人間の体もしぼんでいくのか。

 最近、足の踵のひび割れがすごい。

 剣道で寒い道場で、冷たい床の上を、はだしで、動き回っているのが、原因であるのは、分かっている。

 しかし、若い時には、こんなことはなかった。

 足の踵にひびが入ると、その中の赤みが顔を出す。

 これが痛い。

 足を動かすだけで激痛が走る。

剣道どころではない。

 大き目な、ばんそうこで、ひび割れした傷口を押えると、どうにか痛みが治まる。

 その、ばんそうこが、左足に3枚、右足に5枚。最近は左足の親指にも2枚必要だ。

 毎日、お風呂の後に交換しているが、昼にも剥がれるので交換している。

 もう年かな、

 この踵のひび割れを治療するたびに、日本中が貧乏だった、戦後昭和20年代の少年時代を思い出す。

 昭和20年代は、すべてのものが、なかった時代。なにもない中で、たくましく生きる日本人以外には。

 ゴムがない、従って子供の長靴や運動靴がない、

 あっても高価で一般庶民には、買えない。

 確か、抽選で当たったものが、長靴とか、運動靴とかが、もらえれた時もあったな。

 配給制度もあったような気がする。

 抽選に漏れた子供の長靴はどうするか。

 わら、であんだ、長靴を使用する。

 この藁長靴で雪の中を歩くと、足の裏からじわじわと雪の解けた水がしみてくる。

 厚い靴下を履いていても、しみ込んだ水は靴下まで濡れてしまう。

 小学校の教室には、ストーブがあった、

 このストーブも燃料は、木のマキを使用していたので、中々暖かくならない。

 学校に行くと、このストーブの周りに、濡れた長靴や、靴下を乾かしたものだ。

 問題の藁長靴の中の足は、しもやけになる。

 凍傷だ、 これが夜寝ると、かゆくなって、大変だった。

 踵のひび割れどころではなかった。

 運動靴は、当時はズックと言っていた、

 ズックのないまま、冬以外は、はだしで、運動場を飛びまわる。

 冷たかったな。

 学校の校舎に入る前には、足を洗いましょう。 看板があった。

 学校には、足洗い場があった。

 足を洗った後で、雑巾で足を拭いて、運動場での体育の時間の次の授業へと。

 何もなくても、元気で楽しかった少年時代。

 踵のひび割れに、ばんそうこを、張りながら、思い出す。

少年時代か。

 何もなくても、もう一度、戻れたら、戻りたいものだ。