横浜駅西口
少年時代
どんな人間にも少年少女時代がある。
俺の少年時代は、昭和20年代。
今思えば、日本が戦後、一番ごたごたして、大変な時代であった。
まずは、食べる物がない。サツマイモの根っこの芋にサツマイモの茎や葉っぱを入れて食べたこともある。
何でも食べれれば、おいしかったな。
現在の子供の様に、あれは嫌だ、これは嫌いだ なんて言えるような、時代ではなかった。
でも、みんなたくましく、隣近所が仲良しで隣のおばさんが、お芋を蒸かした時は、近所の悪ガキにもくれた時代だ。
そういえば、調味料の味噌や醤油を隣に、借りに行ったこともあるな。
みんな仲良し、現在の様に隣にどんな人が住んでいるか、分からないことはなかった。
人情豊かな時代であった。
最近、玄関に表札を出さない人もいるのには、びっくりだ。
プライマシーの保護とか主張する人間が増えた、
郵便屋さんが,まごもごする。
町内会名簿、電話帳名簿も名前の記載が少なくなった。
学校の連絡簿も無いらしい。
人間は一人では生きて行けないのに。
困ったものだ。
昭和20年代の小学生で、ランドセルを持っている子供はいたかな。
俺は、ランドセルは買ってもらった、思い出はない。
確か、横にぶら下げる、肩掛けバックかな。
そういえば、風呂敷が最高の持ち物だった。
お金持ちの奥様が、さも、高い値段がするよという、色彩の風呂敷に何か、高級そうな品物を入れて、高級な草履で、しゃなり、しゃりと、舗装の出来ていない、砂利道の道路を歩くのを、少年の俺は、じっと見ていたのを思い出す。
一般庶民は、唐草模様の風呂敷を持ち歩いていた。
少年は全員,げた。
下駄屋の店の俺と同じ小学校のきれいな娘さんに、あこがれたものだ。
下駄の緒はよく切れて、時々走行不能になる。
手拭いを,割いて、下駄の修理。
長い事、下駄をはいていると左右アンバランスになる。
歩きにくい。
下駄の歯を買ってきて、自分で下駄の修理をしたのだ。
現在の若者に下駄の修理が出来るものは、いない。
運動靴はズックと呼んでいた。
ズックは、配給制で、抽選で当たったものが,新品を身に付けることが出来た時代だ。
小学校のグランドの体操は裸足。
グランドの入り口には、足洗い場があった、
良く足を拭いて校内に入りなさいと看板があった、
寒い時期は、子供全員、ひび割れ、しもやけの時代だ。
寝る時は、しもやけは、痒かったなーー
懐かしい俺の、少年時代。