夢の中のお酒

夢の中のお酒 

最近、夜寝ている間に、よく夢を見るようになった。それも、決まって、街の状況がわからにところで、道に迷って、ホテルまでの道が分からなく、なってしまう夢だ。 それと一緒に、おいしい魚と、おいしい酒を飲み過ぎている俺の姿、

現役の頃は、乗員と会社との協定があり、1日のフライトでは、4回しか離着陸を、安全上、しないという、規定があった、現在は、いつの間にか、その規定は、なくなってきた。

天草エアラインでは、1日、8回もあったな。最終便で、C社の勤務の時は、4回の離着陸の制限のためか1か月の勤務で、8回から10回の、地方都市の宿泊の勤務があった。若くて元気な時代であったので、俺は、あちこちに、宿泊出来る、勤務は、楽しみだった、仲間の中には、寝れないので、宿泊は嫌いだというやつもいた。枕を宿泊カバンに入れていた、奴もいたな、

酒禁止の規定もある、現在もまだこの規定だ、

乗員組合は、この規定を、利用して今日の仕事から、翌日の仕事までは、15時間―13時間は。間隔を、開けなければ、いけないと、いう規定もあった。つまり、最終便が、20時のときは、翌日の仕事は、10時以降になる。

会社としては、地方空港での、飛行機の運用では、最終便の飛行機と、クルーで、翌朝の、初便、7時半くらいの、仕事をさせるのが、効率が良いが、乗員組合の規定により、それはできない、従って、地方空港には、翌朝のクルーと、最終便の、乗員が、必要になる、

つまり、最終便で仕事が終わった、乗員は、ゆっくりと、地方の美味しいものを食べて、おいしいお酒を飲む時間があるということである。さあ今宵は、この地方の町で、何を食べよう、何を飲もうと、考える楽しみがあった良き時代であった、

最終便で、仕事を、終わると、通常は、当日の、クルー全員で、夕食を、食べに、出かけたものだ、中には、変わった機長もいて俺はホテルから、出ないと、いうやつもいたが、普通は、デスも一緒に、食事に出かけたものだ、わいわいがやがや、言いたいことを言い合いながら、デスさんとの会食は、楽しかった、

現在のように、デスさんのお尻に手が触れただけで、会社が首になる、時代ではなかった、

お酒が入り楽しい話題で、盛り上がり、明日への、活力は、湧いてきた。

古き良き時代の思い出か。

夕食会の幹事は、副操縦士の仕事であった、

幹事役がうまい副操縦士は、機長訓練も、スムーズに、こなして、機長になることができた。夕食会の、お勘定は、割勘、訓練生は、無料、女性は男性の半分、機長は多めに支払う。楽しかったな、セクハラ、モラハラは、無かった、 かもね。

良き時代に、俺は、生きることができたな。

蝉の抜け殻

セミの抜け殻

新聞に、子供の書いた詩が載っていた。

ポケットのせみの抜け殻 べったんこ

アラー、大変だ

懐かしく、俺の子供時代を思い出す。俺もよく夏には、蝉取りに夢中になった頃があった、蝉取りの最初のころは、セミの抜け殻を見つけて、喜んで遊んだものだ。ポケットに、何個かの、セミの抜け殻を、入れて家に帰ると、ぐじゃくじゃになった、セミの抜け殻を取り出すのは大変だった、その内に仲間から夕方せみの幼虫取りに誘われた。蝉が、よくいる木の下に行く、その木の下にある、小さな穴を探す、棒で静かに、静かに、やさしく優しく。

探して見る、小さな穴の下に、時にはせみの幼虫がいることがあった。

いたぞーー大きな声を出して、仲間を呼び、セミの幼虫を穴の中から、取り出した時の、子供のころの感激は凄かった。

やったぜ、自慢げに仲間に見せていた子供時代。その幼虫を家に持ち帰り、虫かごに入れて、幼虫からセミに、孵化するのを観察した、夕食後、セミになるのは、今か今かと、待っているが、なかなか孵化しない。そのうちに眠くなってきて、不覚にも、寝てしまう、ぼくちゃん。翌朝セミになったのを、見詰めるぼくちゃん、懐かしいな。

セミの幼虫は、土の中で3年から17年間(アブラゼミは6年間)生活する、土の中には、天敵の、モグラや、土の中の他の虫たちと、戦いながら、脱皮を繰り替えしながら成長する、何年もの、土の中での、生活の上、ようやく地上に、現れ、脱皮しようとすると、俺のような悪ガキに、つかまってしまう、または、ようやく脱皮中に、スズメバチや、ありに、食われてしまう。

成虫になっても、カマキリ、クモ、鳥に食われてしまう。それでも、生き残り、元気な声を出せるセミには、最高な幸運と、生き延びた、勝利のうれしさもあるだろう。

この俺には、このくそ暑いのに、ジージーと、うるさく感じる声は、セミの雄叫びに違いない。

ジージー俺は、生きているぞ、きれいな、雌蝉、寄ってこい、俺は待ってるぜ,

人間である、俺も生きとし生ける蝉の声に、いとおしさと、哀れ身を、感じてやるのが人情だろう。

土の名での、何年もの、大変な生活からようやく憧れの地上の生活に、戻ったのに、たった1週間の、命だものな。

静けさや、岩に染み入るセミの声 芭蕉

そんな、日本人の気持ちになろう。

みーんみーん、俺は生きてるぞ、

蝉と一緒に、俺も生きてるぞ。まだまだこれからも、頑張るぞ、

それにしても、ジージーうるさい、蝉の声。もののあわれを、感じることができない、哀れな、ぼくちゃん

上高地観光

上高地観光

毎年夏になると、信州長野の上高地に行きたくなる    。なぜだろう。

俺の40代のころ、小学生、4年と6年の息子二人を連れて、奥穂高登山をした、ことが、俺の頭から抜けないからだ。

俺も40代は、元気バリバリ、なんでも出来ると体力を過信していた時代である。

思春期に近づいた息子たちは、何かと、俺に反発する時期だった。息子を鍛えなければと俺は、登山経験もないくせに、登山好きな、友人に、奥穂高を登った、経験を、聞いた知識だけだった、

友人は、奥穂高、登山は、北穂高よりも簡単だ、直ぐにでも登れるよ、と話していた。

俺は、無謀にも、友人の、話を、信用して。子供2人を連れての、奥穂高登山を、計画した、子供たちが夏休みになるのを、待って俺も会社から休暇をもらい、奥穂高岳登山を実行した、確か、本屋さんからの、穂高登の案内書は購入して、調べた。

先ずは、上高地に行き、河童橋からの。スタートだ、案内書では、2時間、で、明神まであるく、更に徳沢、横尾山荘までの距離だった。疲れたとぶつぶつゆう、息子たちをだましだましの、横尾山荘宿泊だ、このまま帰ろうか、と何度も考えたが、息子教育だ、俺が弱音を出してどうする、親父の背中を見よ。横尾山荘のからの、翌日の登山は、今思えば大変なことでぁった。翌日涸沢までいくと、雪渓のみちだ、俺達親子は、靴は、普通の運動靴、滑って困った、ザイル、ピッケルなどの、登山道具も、持っていない、行きかう登山者からは、運動靴ですかと、あきれなれた。何クソ、頑張るのだ。息子たち励ます。男はつらい時も、頑張るのだ。

雪渓をすぎると、激しい登山道、チエーンまである、怖いな、今度は崖のみちだ、

岩にしがみつきながらの、登山道、俺も怖かったが。息子たちも、怖かったろう、

弱音を吐くな、男は度胸だ、崖道から落ちたら3人一緒だ、息子たちと必死になり、崖道を通過した、やれやれ。登山好の友人は、こんな、道があると、説明してくれなかった、,崖道を過ぎても、まだまだ山小屋は遠い、今度は、霧が出て、きて、視界が悪くなる、岩にへばりつくようにして、前進する、山小屋からは、カーンカーンと、鐘を叩く音が聞こえる、この道で間違いない、次は雨風だ、持っていた、折りたたみ傘を出したが、雨除けの役目はしない、また風は、下から吹く。傘の役目は、全然できない。山小屋にたどり着けるかな、びしょぬれになり、茫然とした、息子よ、馬鹿な父親で、ごめんなさい。登山について、研究もしないで、持ち物も、考ず、無謀な、登山をした、俺。

良くぞ、生きて、帰れたものだ、逆に息子たちに、助けられた、馬鹿な俺、反省のためか、毎年、上高地を思い出す

湯田中温泉

湯田中温泉

信州湯田中温泉に行って来た。

2年前にも、旅行した場所だ、ツアーなので、3日目には、上高地観光が予定されている。

上高地の景色が見たいと思った、

湯田中の温泉につかり、俺の人生を、振り返って見ようと、思ったからだ、湯田中温泉旅行の、2日目は、フリーの時間だ。2年前は、近くにある、善行寺を見学した。

今回は、どこに行こうか。前回の旅行で、たくさんの、外国人が、さるが温泉に入る写真を、見ながら、地獄谷の、ざる公苑に、行くの目撃したので、今回は、俺たちも、地獄谷に、サル見学に、行くことにした。

猿が、温泉に入るのは、どこが面白いの、

面白いから面白くないか、行って、見なければ、分からないだろう。あんなに、たくさんの外人さんが、勇んで、行くところだから、楽しいところに違いない。

行こう、行こう、,ホテルから30分ほどで、地獄谷の、駐車場まで行く、そこから歩きだ、40分ほどかかります、往復3,5Kの、山道の距離です、3時間後の12時に、迎えに来ます、ホテルの車は、いなくなる、それから、山道を登り始める、足の悪い家内を励ましながらの、山道登山道路を歩き出す、途中、見学を終えて帰って来る、外人に出会う、自然と、こんにちは、声を掛けてしまう。

山道を歩く習性がでる環境だ、外人さんに、こんにちはと、声を掛けると、返事を返してくれる。こんにちは、おはようございます、ハロー、気軽に挨拶ができた、しばらく歩いて、またで会った外人さんに、こんにちわと、声を、掛けた、すると外人さんは、歩くのを止めて、俺の顔に正対して、大きな声で、今日1日、よい日を、日本語で、話しかけた。

な、な、なんだ、What、おおーーサンキュウと答えた、そうだ、、外国では、人との別れ際には、HAVU A  GOOD DAY  と言っていたな。日本人は、帰り際には、お気をつけてとか。またねーというものだが、それでも、外人さんと会話ができて、楽しくなる、 健康な人なら、40分ほどで、地獄谷に到着できるが、我々は1時間かかった、サル山には、たくさんの猿が、我々を歓迎してくれた。サルを脅かしては、いけません。食べ物を見せたり与えたりしてはいけません、などの、規則を見ながら、サルを見学した。呼び物の、温泉に入るサルは、少なかった。この暑さ、だものな、温泉は、暑いので、入らないのは、当然なのだ、硫黄の煙を出している、渓谷が、美しい、流れる小川の中には、たくさんの猿が水遊びを楽しんでいた、温泉よりも、涼しい水遊び、人間と一緒だな。サルは雌猿が、すべての子育てを、行う、人間社会は、最近男性の子育てになってきたな、時代の流れか、猿のようには行かないな。

サルの、数より多い、外人さんと、一緒に猿観察をした、外国にはサルは、いないのかな。

外人さんの人気スポットだな、また、歩いて1時間、我々のサル見学は、終わった。

佐渡島観光 その2

佐渡島観光 その2

佐渡島は、奈良時代からの、流刑の場所であった、当時の政争に、敗れた、天皇や、日蓮上人、世阿弥、など、有名な方々が、佐渡島に、流されて、住み着いた、

従って、たくさんの佐渡島特有な、文化が、発展した、島である、現在も、狭い島に、300以上のお寺や、30以上の能舞台があるという、 それに、江戸時代から、開発された、金山の跡が、有名である、和太鼓の、道場もある、従って、島の場所により、言葉も特徴があると言う。そんな、説明を、プロのバスガイドさんから、受けながらの、佐渡島観光、2日目が、始まる。早朝早く、出発したが、最初の目的地は、酒蔵であった、朝からお酒か、試飲もある、朝からお酒を飲むのか、ガイドさんの説明が面白かった。

大丈夫、試飲は、雀の、よだれだけです、カステラもありますが、スズメの、うんち、くらいですので、酔っぱらうことはありません。

スズメのよだれとは、うまいこと、言うな。

実際、試飲コーナーでは、普通の盃の3分の1くらいの容器で、自分で、酒樽から、お酒を出して飲むが、お酒は、スズメのよだれしか、出ない装置になっていた、

試飲であるが、酒をなめる感じだ。しかし、俺の舌には、美味しいと感じた。

荷物になるので、友人と息子に、2本の、4合瓶を購入した、美味しいお酒だぞ。

その後、モーターボートで、青の洞窟クルーズだ、海上を高速で走るモーターボート。心地よい、海風だ、佐渡島の海風は、海がきれいなので、塩の匂いはしない。洞窟の海の色は、緑色、きれいだ

モーターボートの後は、たらい船に乗る。盥のように丸い船、おばさん船頭さんが、実に上手く、炉のような、木でできた、漕ぎ手を使い、静かな港の湾内を、見学させてくれた。タライの底は、ガラス貼りで、海の底が見える、たらい船もあると言う。湾内では、ヒラマサや、黒鯛もよく釣れるらしい。クロダイ釣りのエサは、スイカで、釣れるという、スイカでクロダイか、昼ご飯は、全国的に有名な、海鮮丼だ、佐渡湾で養殖している、鮭の刺身が、柔らくて、おいしかった。

3日目に世界文化遺産の。佐渡金山にいく、江戸時代開拓した金山の、堀た、穴の中にはいる、、、外の気温は25度で熱いが、金山の中は10度、寒く感じた、穴の中には、あちこちに江戸時代の服装をした、人間の人形があり。金山の中での、仕事をしてる様子を、展示してあった、人形は、時々動き出して、作業をする、その時に、人形が、発音する装置もあった。江戸時代の金山作業員は、罪人が主であったという、

金を掘る作業をしていた、人形が突然、発声した、

帰りたいのう、穴倉の暗い世界から、さぞ。出たかったであろう、ジャバに、帰りたいのう、なぜか、胸にジーンと来た



佐渡島観光 その1

佐渡島観光 その1

日本最大の離島 幻想的すぎる島。佐渡島の旅に行って来た、

観光会社H社の、計画するツアーには、だいぶ参加してきたが、まだ、佐渡島には、行ったことはないので、今回の旅のツアーを申し込んだ。佐渡島は、現役の頃、青森、花巻、山形、新潟から大阪伊丹空港に行く便の、航路上から、右に見える、バタフライのような恰好をした島を、いつも見ていた。

どんな島だろうと、いつも航路を飛行するときには、思っていた。

横浜から上野駅に行き、新幹線に乗る、2時間で新潟到着だ、早いものだな、

バス10分ほどで、新潟港に行く、そこから、。船旅だ、

ジェットの高速船は。1時間5分で、行くことができるが俺達ツアーは、フェリーで2時間30分掛けて佐渡の両津港に行く、

2時間30分の船旅は、久しぶりの、海のにおいを、かぐことができた、新潟港出発の時は、船の周りには、沢山の、かもめが、乱舞しながら、船と一緒に、飛び回る。カモメを。近くで、眺めるのは、久しぶりだ。

観光船で問題のあった、北海道知床を思い出す、知床の観光船で、かっぱえびせんを、カモメに、与えながら観光したな、知床岬の歌は森繫久彌、何とも言えない、痺れる歌を聴きながら、何十年前に知床半島を見学したことを思い出す、新潟港から出たフェリーは、大海原の日本海を、走る、俺は、船の船尾に行って、海の景色を楽しんだ、昭和30年代の、おれの操縦士訓練は、ほとんどが、昔の軍経験者、厳しく、訓練を受けた。海軍出身の教官は、貴様らは、しょっけが足りないと、よく怒鳴られた、しおっけて、何ですかとは、質問出来なかった。質問すると、ぶっ飛ばされそうな雰囲気、だものな。その教官たちから、鍛えられた、おかげで、今の俺がある、教官ありがとうございました。今現在、新潟沖で、しおっけを、感じています、この海の風、水しぶき、塩のにおいで、塩っ毛を、感じています、

海はいいな、海の上の旅を、楽しむことができた、両津港に、到着すると。観光バスが待っていた、直ぐに、朱鷺の森公園に行く、

朱鷺の鳥は、昔はたくさん飛んでいたが、2003年に絶滅する、朱鷺の研究者、愛好者が協力して、再度朱鷺の繫殖に励むと、現在は、よく繫殖できるようになり、佐渡ヶ島には、田んぼでも見えるくらいの、数になったらしい。

絶滅から放鳥まで、皆さん頑張った歴史を学ぶことができる朱鷺の森公園、ときに出会えた、

バスはホテルに、向かうが、佐渡ヶ島出身の、バスガイドさんは、説明が上手く。話の途中に、冗談や、失敗談、面白い話を、話に混ぜて、説明している、すごいな、プロを感じた、

笑い 笑いましょう

 

笑い 笑いましょう。

新聞の中には、

いろんな、記事が載っている、その中に、子供の詩の欄がある、子供の発想が面白いので、俺は。いつも見ている、以下の様な、投稿があった、

いろんな笑い     望月彩香

あははは、楽しい笑い声

イヒヒは、企んでいるとき

うふふはお嬢様

えへへは照れてるとき

おほほはお上品

あ行とは行はつながっているね

と言う詩であった、子供なりに良く人間の心理を見ていると俺は感じた、毎日。面白くもない日常生活に、笑いを取り入れることは大事なことだと、話していた、お医者を思い出す、先生によると、たいていの病気は笑いによって、治るという。糖尿病、高血圧、人間の内臓の病気は、先ずは、毎日の笑いによって治るという。先生は、血圧の値が、130以上は、病気のように、宣伝するのは、裏に何かがあると言う。誰でも人間は、年齢を重ねると、血管やその他は、衰えていくのは自然現象、

歳を取ると、血管は古くなり、若い時とは異なる、血圧になるのは、当然の事なので、血圧130を超えたら、すぐに薬を服用するのは、おかしい、200以上になったら、気をつけなさいと、とおっしゃっていた、しかし俺は、心配なので。高血圧の薬を飲んでいる、先生すみません。

また先生は、毎日の生活に、笑いを持ち込み、ポジティブな気持ちで生活すれば、病気になる可能性は低い、努めて笑いなさい。アハハ。

また先生は、笑えば、水虫や歯痛まで、治るぞと、言ったので、バカな俺は、それを信用して、歯が痛いときに。笑って直そうと思って、大きな声で笑うと痛い歯は,なお痛くなった、やはり歯が痛いときは、医者に行かなければ治らない、また水虫もいつも薬をつけるときに、笑いを入れて、薬をつけていたが、いまだに、おれの水虫は治らない、先生は、冗談で話したのだろうと、気が付いた、馬鹿な自分に腹が立つ。

しかし、無理やりでも、笑うと気分は上向きになることは確かだ、また無理やり笑うことで、嫌なことは、吹っ飛んで忘れてしまう。いいことだ、毎日顔を洗う時、鏡の中の自分に向かって俺は、話掛ける。おいお前、元気を出せ、しょぼくれた、顔をするな、笑え

小笑い、アハハは、中笑い、アーハハハハハ

大笑い、はーはーはーはー

いい気分になる。突然家内が、顔を出す。おお父さん、どうしたの、大丈夫なの・

うるさい、俺のお金がかからない、健康体操だ、バカ-家内は、立ち去る。

努めて笑えば福来る、笑いたくなくても、笑い、ましょう。もしかして、水虫も治るかもよ、