さようなら2026年の夏

さようなら、2026年の夏

今年の夏は、暑くて、ひどかった。

先ずは、気温、7月中から、35度近くの、暑い日が続く、とても俺には、外で遊ぼうかという、発想が、わかない、暑さだった

それに、台風の発生回数。7月に、5個、8月に10個、 異常な発生回数だ。

それも、過去には、見たことのない、進路を通る、日本の南海上で発生した、台風が、北に進む、そして、急に東に進路を変えて、茨木県に、上陸したのには、驚いた、そして、茨木から、西に進み、日本の内地を、雨と、風で暴れ回る、地上の被害は、大変なものだ、

こんな、台風は、俺の人生で、初めてだ、

てっきり台風は、日本に近づく、上空の風により、、日本の東に進むのが、すべてであると、思っていたが、違った、、こんなこともあるのだな、不思議な、気象現象に、びっくりする。また、奄美群島の周りを、何日もかけて、遊び回った、台風もあったな。

お陰で、本州の、天候は、めちゃくちゃ。

各地で、大雨による、被害が発生する、今年の、雨の腺状降水帯が、各地に発生する、地震で被害を受けた、石川県、福井県での、被害も大きかった、関東では、千葉県が、大雨により、車が、水たまりの、道路に、突っ込み、多数の死者が出た。どうなっているのだ、日本の気候は、

異常気象だな、地球温暖化現象で、日本の夏の天候も、様変わりだ。俺の若い頃の夏は、7月20頃から、よく晴れ渡り、子供たちに、夏休みだよ、海や山で遊ぼうという、天気だったな、ギラギラ輝く、太陽と、真っ青な、大空、青い海、真っ白な、夏雲、俺の青春。

そんな、おれの青春時代とは、異なる、暑くてジメジメする、2026年の夏、

さよならできて、よかったな。そんな、気候の中での、おれの体は、段々と、年齢により、衰えていくのが、自覚できた。いつも、体が万全な、体調の日は、少なくなった。

残り少なくなった、俺の夏、

何処かに、出かけよう、今年の夏は、一度は行ってみたかった、佐渡島には、行くことができた、佐渡島の、歴史や、風景、ときの鳥に、会うことができたな。また、くそ暑い横浜から、車山高原に、行けたのも、楽しい思い出だ、緑の草原を、眺めて、人生を考えたな。車山山頂からの景色も、素晴らしかったな、珍しく天候も、俺たちに味方して、晴れの日が、旅行中多かったのは、俺たちの日ごろの行いが、よいからだろう。車山高原のホテルから、八島が原、湿原、白樺湖、霧ヶ峰高原の景色も素晴らしかった、霧ヶ峰の近くの霧鐘苑の、鐘を鳴らしたな、きんこん、きんこん、残り少ない人生を、楽しみながら、生きようぜ、そんな、鐘の音を思い出す、、グライダーの滑走路もあったが、グライダーに、乗りたくなった、

全てを、ひっくりめて、2026年の、夏よサヨウナラ、

車山高原 その2

車山高原 その2,

車山高原の旅は。2日目以降は、ホテルから出るバスの時間に併せて、自分で行動する、2日目は、どこにしようかな。白樺湖がいいな、朝、遅めのバスで、白樺湖に行く。白樺湖の周りを、散策する、つもりであったが、歩くのは、しんどいな。同じツアーの、ご夫婦も、同じく、あまり歩きたくない様子だ、

こんにちは、どこに行きましょうか。

私達も、迷っています、とりあえず、ボートでも乗ろうと思っています、直ぐに友達になる、何処から、来ました、横浜です、私たちも、横浜です。三ツ沢公園の近くです、ああ、私達も三ツ沢公園の近くに住んでいました、こんな話で、仲良くなる、ご夫婦は、俺たちよりも、年齢が、多いらしい、何歳ですか、90歳を超えました。すばらしいですね、服装も、登山等の、服で、元気な、ご夫婦、毎年、小さな山に、上るように、歩いています、そんなことを、話しながら、白樺湖の周りを、一緒に歩いた、

ボート乗り場に、到着したが、観客は誰もいない、 あんまり、ボートには、乗りたくない気分だ、俺達、ボートのりは、やめにします、山肌の、リフトで、お花なの、見学をしましょうか。ご夫婦も、賛成してくれた、

それで、白樺湖のよく見える絶景の場所に、見学者用の、椅子に、4人座って、白樺湖の景色を。楽しむ、自然と会話も弾む。俺たちの、少年時代、特に、戦後、昭和20年代は、大変だった、先輩は、国民学校の。2年だったので、教科書は、黒塗り、紙がないので、新聞紙に、筆で。字を書いたなどの、話になる、俺も負けてはいない、食べるものが、なくて、すいとんや、芋の代用食を、思い出した、さつまいもの。つるまで、食べましたね、川の土手に、生えている、酸っぱい、イタドリの草まで食べた話で盛り上がる、現在の若者には、想像できない食糧難の時代だったな。その質素な食事のためか、我々は、長生きできているのかな、きれいな白樺湖の風景を見ながら、楽しく。年齢も近い4人は、会話を楽しんだ、、そろそろ、リフトで、花のきれいな、丘の上に行きましょう、山いっぱいの。山百合お花の上を、リフトで登る、山頂まで、お花畑だ、きれいだな。手入れが大変だな、ご夫婦とは、昼ご飯も、ご一緒で、楽しく過ごせた、先輩、長生きの、コツは、なんでしょう、何でも興味を持つ事でしょうか、私は、おやじの会、料理の会、詩吟の会を、毎月実施しているので、暇がありません、との答えであった、長生きのコツは、何事も、行動だな、大変、先輩の、お話は、おれの人生の肥やしになった、素晴らしい、ご夫婦との、出会いであった、3日目は、霧ヶ峰に行く。沢山の珍しい、高山植物のお花を楽しんだ、グライダーの発着場のある、霧鐘塔まで、歩いていき、カランコロンと、鐘を鳴らした、、大空と、緑の草原を、12分に楽しむことが出来た草原の夏、青い空、白い雲、緑の草原。

車山高原

車山高原

天空の楽園と呼ばれる、車山高原に行って来た。8月初旬は、横浜は、うだるような、熱が続く、少しでも、涼しいところに行きたい。爽やかな高原の、車山なら、このうだるような、横浜の、熱さよりも、過ごしよいだろう。

新宿よりあずさ21号で、出発する、

茅野駅から、チャータバスだ、30分ほどで、車山高原だ、意外に早く到着できた。勝手、スキ―ブームの頃は、土曜日の午前の仕事の後で、スキー担いで、車山スキー場に通った人も多いだろう。俺はスキーブームの時代は、訓練生で、スキーに行きたくても、いけなかった時代でもある。従って、俺にとっては、初めての車山への旅行だ。高原というから、広々とした、草原の中を、走り回ることができるのかな。

車山高原に近くなると、緑色した、草原が、広がる。きれいだな、車景に見とれていると、車山スカイパークホテルに到着する、

ホテルでの出迎えやら、カウンターの人間はほとんどが外人だ、地方のホテルの従業員は、外国の人が多い、ここは、日本だよね。

ホテルマンの説明により、お世話になります。先ずは、お風呂、そして、豪華な夕食、生ビールか、夕食はバイキングなので、食べ過ぎるな、翌日は、ホテルの車で。車山スキー場に行く、頂上までの、リフト券が、往復で2800円、かなり高いな。山頂めざして、足の悪い家内と、リフトに乗る、

山頂まで、リフトは、25分も、かかるそうだ、

家内と二人、大きなリフトに乗る、

リフトが動き出すと、高原の景色は素晴らしい、整備されている、草原は、冬のスキー場に代わるのであろう。ぼんやりと景色を眺めていると、途中で写真屋さんが、写真を取っていた、夫婦揃って、写真屋さんに、手を振った。いい写真、お願いしますよ、帰りに良かったら、購入しますからね、

そんな会話をしながら、乗っていると、家内が突然、叫ぶ。歩行用の杖を落としてしまった、

大丈夫だ、上についたら、探してもらうよう話すから、うろたえる家内、

リフトしては、かなり長い時間が過ぎる、最初のリフトが山の上についた、ここから少し歩いて、次のリフトに乗る、と言う、家内は、リフトを管理している、70代くらいのおじさんに、途中で歩行用の杖を落としたことを、話す、70代のおじさん、俺と同じように耳が遠い、えーえー、家内は家内で要領が悪い。写真屋さんのところで、つえを落としました。おじさん、写真屋さんは、リフト前ですね、話が組み合わない。俺はおじさんとはべつの若い係員にリフト発信後。写真を撮っていた人を、過ぎて50M位に、つえを落としてしまいました。確認お願いします、帰りの便で、確認します、すみません

若い従業員、了解、確認します、話は終わり、無事に帰りに、歩行用杖は、戻りました。



トイレのお話その2

トイレ その2

前立腺がんで放射線治療をしたのちに、副作用なのか、やけにトイレに行く回数が増えた、特に、睡眠時、朝までに3-4回、尿意を感じるのには、うんざりだ。

楽しい夢を見て、おいしいごちそうが、出てきた場面で、尿意を催す。

目が覚めて、ごちそうは、夢の中で、食べることはできない、残念。寝ぼけまなこで小便をしたのちに、ベットに戻り夢の続きを、見ようとするが、今度は、寝つきが悪く、先ほどまで、見ていた続きは、見ることはできない、

昼の時間でも、小便の回数が多くなった、1時間半から2時間で小便がしたくなる。

尿意は突然やってくる、また、若い時のように、尿意の後に、数分間、我慢ができない。おしっこ、ぉしっこ。

トイレを探すことになる、

家を出て電車を利用する、外出は、おしっこを、考えなければいけない、

電車に乗る前には、尿意がなくても、トイレに行く習慣が身に付いた、

電車の中では、この電車、途中で止まらないで、下さいと、神様にお願いする。

車を運転して出かけるときも、小便タイムを計算しながら、ドライブインで、尿意がないのに、トイレに行く。

この道路渋滞になったら、どうしよう。携帯用トイレを、購入した。

健康で、若かった時も、苦労したことを、思い出す。

俺の現役時代の会社は、赤字続きの航空会社、

C社、YS=11時代から、ジェット機に切り替わる時期があった、

ジェット機に乗るためには、乗員は、乗るための、資格を、運輸省の検査の、審査を受けなければ、乗ることはできない。難しい審査官が多くいて。バサバサと、限定試験で乗員は、不合格になる。

不合格になった乗員は、ジェット機に乗ることはできない。

みんな必死に勉強したものだ。

この訓練のための、ジェット機や、シミレータ(模擬コクピット)は、赤字会社のC社にはない、それで。カナダの航空会社に委託して、乗員の訓練を行っていた。俺も、モントリオールやエドモントンで、ジェット機の訓練で外人教官から、訓練を受けた、毎日英語で、外人教官との、訓練は、大変だった。

それでも、勉強の合間に、カナダの街に、

英語もよく読めないのに、カナダの町で買い物や食事をするのは、疲れる。

買物途中に、小便がしたくなる、トイレはどこだ、 何処にも日本のように、記号のついた、サインはどこだ、外囲人にたずねる、

ウエアー、トイレット、ノウ、ウエアレストツーム、ノウ

カナダでは、トイレをWASH ROOMとゆうことを、初めて知った、馬鹿な俺。

夢の中のお酒

夢の中のお酒 

最近、夜寝ている間に、よく夢を見るようになった。それも、決まって、街の状況がわからにところで、道に迷って、ホテルまでの道が分からなく、なってしまう夢だ。 それと一緒に、おいしい魚と、おいしい酒を飲み過ぎている俺の姿、

現役の頃は、乗員と会社との協定があり、1日のフライトでは、4回しか離着陸を、安全上、しないという、規定があった、現在は、いつの間にか、その規定は、なくなってきた。

天草エアラインでは、1日、8回もあったな。最終便で、C社の勤務の時は、4回の離着陸の制限のためか1か月の勤務で、8回から10回の、地方都市の宿泊の勤務があった。若くて元気な時代であったので、俺は、あちこちに、宿泊出来る、勤務は、楽しみだった、仲間の中には、寝れないので、宿泊は嫌いだというやつもいた。枕を宿泊カバンに入れていた、奴もいたな、

酒禁止の規定もある、現在もまだこの規定だ、

乗員組合は、この規定を、利用して今日の仕事から、翌日の仕事までは、15時間―13時間は。間隔を、開けなければ、いけないと、いう規定もあった。つまり、最終便が、20時のときは、翌日の仕事は、10時以降になる。

会社としては、地方空港での、飛行機の運用では、最終便の飛行機と、クルーで、翌朝の、初便、7時半くらいの、仕事をさせるのが、効率が良いが、乗員組合の規定により、それはできない、従って、地方空港には、翌朝のクルーと、最終便の、乗員が、必要になる、

つまり、最終便で仕事が終わった、乗員は、ゆっくりと、地方の美味しいものを食べて、おいしいお酒を飲む時間があるということである。さあ今宵は、この地方の町で、何を食べよう、何を飲もうと、考える楽しみがあった良き時代であった、

最終便で、仕事を、終わると、通常は、当日の、クルー全員で、夕食を、食べに、出かけたものだ、中には、変わった機長もいて俺はホテルから、出ないと、いうやつもいたが、普通は、デスも一緒に、食事に出かけたものだ、わいわいがやがや、言いたいことを言い合いながら、デスさんとの会食は、楽しかった、

現在のように、デスさんのお尻に手が触れただけで、会社が首になる、時代ではなかった、

お酒が入り楽しい話題で、盛り上がり、明日への、活力は、湧いてきた。

古き良き時代の思い出か。

夕食会の幹事は、副操縦士の仕事であった、

幹事役がうまい副操縦士は、機長訓練も、スムーズに、こなして、機長になることができた。夕食会の、お勘定は、割勘、訓練生は、無料、女性は男性の半分、機長は多めに支払う。楽しかったな、セクハラ、モラハラは、無かった、 かもね。

良き時代に、俺は、生きることができたな。

蝉の抜け殻

セミの抜け殻

新聞に、子供の書いた詩が載っていた。

ポケットのせみの抜け殻 べったんこ

アラー、大変だ

懐かしく、俺の子供時代を思い出す。俺もよく夏には、蝉取りに夢中になった頃があった、蝉取りの最初のころは、セミの抜け殻を見つけて、喜んで遊んだものだ。ポケットに、何個かの、セミの抜け殻を、入れて家に帰ると、ぐじゃくじゃになった、セミの抜け殻を取り出すのは大変だった、その内に仲間から夕方せみの幼虫取りに誘われた。蝉が、よくいる木の下に行く、その木の下にある、小さな穴を探す、棒で静かに、静かに、やさしく優しく。

探して見る、小さな穴の下に、時にはせみの幼虫がいることがあった。

いたぞーー大きな声を出して、仲間を呼び、セミの幼虫を穴の中から、取り出した時の、子供のころの感激は凄かった。

やったぜ、自慢げに仲間に見せていた子供時代。その幼虫を家に持ち帰り、虫かごに入れて、幼虫からセミに、孵化するのを観察した、夕食後、セミになるのは、今か今かと、待っているが、なかなか孵化しない。そのうちに眠くなってきて、不覚にも、寝てしまう、ぼくちゃん。翌朝セミになったのを、見詰めるぼくちゃん、懐かしいな。

セミの幼虫は、土の中で3年から17年間(アブラゼミは6年間)生活する、土の中には、天敵の、モグラや、土の中の他の虫たちと、戦いながら、脱皮を繰り替えしながら成長する、何年もの、土の中での、生活の上、ようやく地上に、現れ、脱皮しようとすると、俺のような悪ガキに、つかまってしまう、または、ようやく脱皮中に、スズメバチや、ありに、食われてしまう。

成虫になっても、カマキリ、クモ、鳥に食われてしまう。それでも、生き残り、元気な声を出せるセミには、最高な幸運と、生き延びた、勝利のうれしさもあるだろう。

この俺には、このくそ暑いのに、ジージーと、うるさく感じる声は、セミの雄叫びに違いない。

ジージー俺は、生きているぞ、きれいな、雌蝉、寄ってこい、俺は待ってるぜ,

人間である、俺も生きとし生ける蝉の声に、いとおしさと、哀れ身を、感じてやるのが人情だろう。

土の名での、何年もの、大変な生活からようやく憧れの地上の生活に、戻ったのに、たった1週間の、命だものな。

静けさや、岩に染み入るセミの声 芭蕉

そんな、日本人の気持ちになろう。

みーんみーん、俺は生きてるぞ、

蝉と一緒に、俺も生きてるぞ。まだまだこれからも、頑張るぞ、

それにしても、ジージーうるさい、蝉の声。もののあわれを、感じることができない、哀れな、ぼくちゃん

上高地観光

上高地観光

毎年夏になると、信州長野の上高地に行きたくなる    。なぜだろう。

俺の40代のころ、小学生、4年と6年の息子二人を連れて、奥穂高登山をした、ことが、俺の頭から抜けないからだ。

俺も40代は、元気バリバリ、なんでも出来ると体力を過信していた時代である。

思春期に近づいた息子たちは、何かと、俺に反発する時期だった。息子を鍛えなければと俺は、登山経験もないくせに、登山好きな、友人に、奥穂高を登った、経験を、聞いた知識だけだった、

友人は、奥穂高、登山は、北穂高よりも簡単だ、直ぐにでも登れるよ、と話していた。

俺は、無謀にも、友人の、話を、信用して。子供2人を連れての、奥穂高登山を、計画した、子供たちが夏休みになるのを、待って俺も会社から休暇をもらい、奥穂高岳登山を実行した、確か、本屋さんからの、穂高登の案内書は購入して、調べた。

先ずは、上高地に行き、河童橋からの。スタートだ、案内書では、2時間、で、明神まであるく、更に徳沢、横尾山荘までの距離だった。疲れたとぶつぶつゆう、息子たちをだましだましの、横尾山荘宿泊だ、このまま帰ろうか、と何度も考えたが、息子教育だ、俺が弱音を出してどうする、親父の背中を見よ。横尾山荘のからの、翌日の登山は、今思えば大変なことでぁった。翌日涸沢までいくと、雪渓のみちだ、俺達親子は、靴は、普通の運動靴、滑って困った、ザイル、ピッケルなどの、登山道具も、持っていない、行きかう登山者からは、運動靴ですかと、あきれなれた。何クソ、頑張るのだ。息子たち励ます。男はつらい時も、頑張るのだ。

雪渓をすぎると、激しい登山道、チエーンまである、怖いな、今度は崖のみちだ、

岩にしがみつきながらの、登山道、俺も怖かったが。息子たちも、怖かったろう、

弱音を吐くな、男は度胸だ、崖道から落ちたら3人一緒だ、息子たちと必死になり、崖道を通過した、やれやれ。登山好の友人は、こんな、道があると、説明してくれなかった、,崖道を過ぎても、まだまだ山小屋は遠い、今度は、霧が出て、きて、視界が悪くなる、岩にへばりつくようにして、前進する、山小屋からは、カーンカーンと、鐘を叩く音が聞こえる、この道で間違いない、次は雨風だ、持っていた、折りたたみ傘を出したが、雨除けの役目はしない、また風は、下から吹く。傘の役目は、全然できない。山小屋にたどり着けるかな、びしょぬれになり、茫然とした、息子よ、馬鹿な父親で、ごめんなさい。登山について、研究もしないで、持ち物も、考ず、無謀な、登山をした、俺。

良くぞ、生きて、帰れたものだ、逆に息子たちに、助けられた、馬鹿な俺、反省のためか、毎年、上高地を思い出す