月旅行 その2

 

月旅行 その2

 昨年の9月に

                              

 種子島から打ち上げれた、月面探査機が、月の周回航道に入り高度を下げ、 無事に月に着陸した。

 着陸のショックで地球に送る、データ送信器がひっくりかえり、最初は地球へのデーターが送れなかったが、何とか、もち直して、月の地面のデーターを送れるようになったという。

 その後、月探査機のニュースが新聞には出ていないので。うまく行ったのだろう。

 日本初めての月面調査が出来る事は、素晴らしい。

 3月17日の新聞の記事には、アメリカの有人月探査計画(アルテミス)で28年以降、日本人2名が、月面着陸出来るという。

 いよいよ、月旅行が現実的になって来た。

 条件としては、2025年に月の周回軌道を有人飛行で成功した後に、アメリカの宇宙飛行士が、26年に着陸する。

 その後に、2回目に日本の宇宙飛行士が、月着陸が出来るという。

 月の探査には、日本トヨタの月面探査機が使用される、予定だ。

 そういえば、かって新聞を、にぎわした、ゾゾタウンの前沢社長の月旅行は、まだ、実現していないな。

 社長は、最初は、彼女と月旅行をしようと思ったが、彼女に振られて、8人の友人をつれて、月に行くという新聞記事を読んだが、どうなったのかしら。

 一人、100億円?、

 お金持ちの社長。

 その他の宇宙に関するニュースで、日本の建設会社が、宇宙ステーション迄、エレベターを作る計画が過去にあったが、どうなったのだろう。

 日本の繊維技術で、軽くて丈夫な繊維が開発され、飛行機などで使用されている。

 その技術で、宇宙ステーン迄、エレベーターで行けることが、出来ると書いてあったな。

 何でも、7日かけて、宇宙ステーションに行けるらしい。

 その後の宇宙への、エレベーターの新聞記事は出ていないので、本当にエレベーターを作る、気持ちは、ないのかな。

 それにしても、宇宙や月の旅行の話題が出ることは、楽しい。

 毎日の自民党の裏金問題で、国会が機能していない、ニュースよりも、宇宙や月の話題の方が、ずーと楽しい。

 坂本九さんが歌つて、いた歌。

 上を向いて歩こう、そうしたら、悲しいことも、苦しいことも、楽しくなる。

 上を向いて歩こう

月にも行けるぞ、宇宙にもエレべータ―で行けるぞ。

 大きな声で歌えば、人生バラ色だ。

 

坂井三郎先輩その2

                                日本丸

坂井三郎先輩 その2

 おれの訓練生時代に、心構えを教えてくれた坂井氏、

 その教えにより、無事に機長になり、千葉に転勤した。

 千葉の時代に、また坂井先生とお会い出来た。

 S分隊士の取り計らいで、部隊の隊員の前で講演を行っていただいた、

 その講演のお話の中で人間には帰巣本能があるという話である。

 ラバールから出撃してガタルカナルで戦闘が始まる。

 何機か撃ち落としたが、最後に自分もやられた。

 飛行の帽子を被っていたので、目の周りの防具の金具に相手の弾が当たった、

 顔面血まれになったが、頭の中には玉は行かなかった。

止血をしながらラバールまで、意識もうろうとして,帰る、

 その時に帰巣本能で帰ったいう、

 お父さんが、お酒を飲みすぎて、ぐでんぐでん、になっても家に帰りつくと同じ現象だ。

 俺も若い時には飲みすぎて電車の終点まで行った思い出がある。

 坂井氏は、片目失明と出血に喘ぎながら、千百KMを、襲い来る睡魔と戦いながら、4時間半の飛行を終えてラバウル基地にたどりついた。

 誰もがもうだめだろうと思っていたのに、

 素晴らし能力。

 その能力はどうして出来るか。

 原理は、酔っ払いのお父さんと同じ原理だ。

 お父さんは、いつも同じ手順で、同じ道のりを毎日毎日、会社に通勤する。 

 自然と行動パターンが体に染みつく。

 その結果、どんな状態でも家に帰ることが出来ると坂井氏はおしゃっていた、

 俺の帰巣本能は、ちょっと違うのかな、

 初めてのホテルに宿泊して、夜中に寝ぼけて、起きだしホテルの部屋のドアーに小用をしようとして、目が覚めた。

 自宅のトイレの位置と違うのに、

 これは帰巣本能ではないな。

 会社のいつも行く沢山あるトイレでも、決まったトイレでないと落ち着かない。

 小用の時でも、前から何番目の所だと落ち着く。

 その場所が、他人が使用していると、悔しい気分になる、

 犬のションベンも、犬は片足を上げて、電信柱にひっかける、

 木(気)にするのが、犬のションベン。

 毎日基本に忠実に仕事を行うと、帰巣本能は高まると。

 正しい生活リズムを繰り返し、楽しい人生を楽しもうではありませんか、

 もう、俺もあまりお酒は飲まない方がいいかも。もう沢山飲めない年齢だ。

ホンダジェット開発者表彰

 ホンダジェット開発者表彰

 ホンダジェットを開発した、藤野氏が米国航空宇宙学会から、ダニエルグッケンハイムメダルを授与されることが決まったというニュースが新聞の片隅に出ていた。

 この賞は、航空界で最も名誉ある賞の一つである。

 過去にライト兄弟

 人類初めて飛行機を発明した、兄弟。

 最初は、ほんの何メートルしか、空中に浮かび上がらなかったが、改良され曲技飛行など行われた。

 世界で、初めての飛行機を作った人。

 リンドバーク 翼よ、あれがパリの灯だ、有名な、初めて飛行機でアメリカからヨーロッパに飛行した飛行士

 米大手ボーイングの創業者が受賞している名誉ある賞である。

 新聞はなぜ、もっと大々的に掲載しないのであろう。

 ホンダジェットの藤野氏は、会長の本田氏を、驚かせ、喜び出す姿を想像しながら小型ジェット機を開発したと、ある記事で見たことがある。

 会長の決済なしに、本気で飛行機を作ろうとする意志がすごい。

 開発の立ち上がりから、アメリカの土地で、航空機会社の倉庫を借りて、試作の飛行機を作った。

 航空界の流れを理解しての、発想である。

 飛行機の部品は何万個をあるが、ビス1本ナット1本にも。特許や耐空性の証明が必要だ、

 それも、アメリカだけでなく、フランス、その他との国の、許可を得なければ、使用は出来ないのは、航空界の常識だ。

 設計、組み立て、仕上げその他についても、早急な決断には、莫大な費用の使用が必要になる。

 作業は常に、決断、決行が素早く出来なければ、飛行機は出来上がらない。

 藤野氏は本社の本田会長の決済なしに、作業を進めた結果、アメリカで初飛行に成功したと思う。

 最近の新聞では、年に60機発売すると出ていた。

 11人乗りの本田ジェット機乗ってみたいな、

 日本では、YS-11が戦後初めて製作して、成功したが、日本初めて旅客ジェット機MRJは。失敗に終わる。

 日本国内で、飛行には、成功したが、色々の問題で、世界には通用、出来なかった。

 原因は、いろいろあるが、どうしても日本のジェット機を、作るんだという、強力なボスが、いなかったのでは、なかろうか。

 各航空会社や自衛隊等から優秀な人材を個々に集めて、作るのは、難しい。

 ホンダの様に、一つの会社が、会社の存亡をかけて、作らなければ、飛行機は、出来上がらないと思う。

 MRJジェット機。残念、無念。

風光り山笑う

                              イーチャン

 風光り山笑う季節

 3月に入り、天候の不順が続いている。

 昨日は、最高気温が20度Cまで上がり、暖かく気分も良かったが、今日は最高気温6度Cになる。

 気温差が10度C以上もあると、体調管理に大変だ。

 毎日の着る物の選定も面倒くさい。

 オーバーを着たり、薄手のコートにしたり。股引を履いたり、脱いだり、忙しい。

 早く春になれ、春になっても、まだ3寒4温の日が続くのか。

 2月に、乾燥した天気が続いたので、背中に、湿疹が出て痒い。

 孫の手はどこに行った。

 探すのも、面倒だ。

 でも寒い日が続いた、2月よりも、時たま、陽気の良い日がある3月は、うれしい。

 この季節は、風光り山笑う季節というらしい。

 風光るか、 どんな風だろう、

 今日の様な気温6度Cの時に吹く風は、肌に差し込む風だ。

 数日前の、春の嵐のような時に、強風が吹いたが、あれは、悪魔の風だ。

 飛行機の欠航、新幹線の欠航。大変だった。

 風は光っていない、あばれ風だ、

 光る風は陽気の良い日に吹く、そよ風だろう。

 ざわわーざわわー なんか沖縄の歌の歌詞にあったな。

 ざわーわの風は、沖縄の砂糖キビに吹く風。戦争時代、戦場になった、沖縄の哀しい風か。

 光る風は、昭和生まれの人間しか理解できないであろう。マリンリンモンローのスカートを下から吹き上げる風だろう。

 いやーん 馬鹿、マリリンモンは、ーきれいだったな。

 俺の青春時代の光る風は、マリリンモンローのスカートめくりの風だ。

 山笑うの季語は理解出来る。

 寒い山々に積もった、雪が溶けだす時期だ。

 やがて山頂近くの白い雪が溶けて、黒い

山肌が見えるようになり、更に雪に埋まっていた,木々が、緑の葉っぱを出し始め、山々は、白から黒くなり、やがて、雪が解けて木々の緑に変化する。

 間もなく山桜が咲きだし、緑色に赤の色が混じるようなる。

 冬の間じっと寒さに耐えていた、植物が生き返るのだ。

 笑いながら、春だよー

 叫びだす。眠っていた、動物たちも木々と一緒に、遊びだす。

 今年も春が来たよー。春が来たよー

 よかったねーー今年も生き延びるぞー

 風光り、山笑う。

 近くの山にハイキングにでも、行きたくなる季節は、もうすぐだ。

坂井三郎先輩

坂井三郎先輩

 俺の長い人生で影響を受けた人物は誰か。

 少年時代は美空ひばり

 青年時代は坂井三郎氏である。

 パイロット訓練生で、入隊して、基礎訓練時代にお会いした人物だ。

 何も知らず入隊したが、入隊翌日からの訓練は想像以上のものがあった。

 その厳しい訓練をしてくれたのが、特攻隊の生き残りの、S分隊士。

 彼は、我々訓練生を朝、昼、夜、深夜まで鍛えてくれた。

 自分の家庭があるのに、我々と同じように部隊に泊まり込みで。朝も早朝より我々と一緒に起きて、駆け足など行った、

 年齢は30年代と思ったが、よくぞ若者の我々と同じように行動できたものだ。

 訓練中は鬼と恐れたが今考えると、S分隊士の訓練のお陰で、機長になれたし、現在がある。 感謝感激である。

 そのS分隊士と一緒に館山で訓練中、東京に出かけた時に、坂井三郎氏と会うことが出来た。

 S分隊士は、ゼロ戦の勇士で坂井三郎の3番幾として乗務したことがる。

 坂井機長は自分の列幾は必ず守り、戦死者は出していない。

 坂井氏の部下だったS分隊士とは、話尽きない。

 当時坂井氏は羽田の近くで印刷工場をしていた。

 戦後の雑誌で丸という、雑誌を印刷していたと思う。

 歴戦の勇士 坂井三郎氏はどんな人物だろう。

 最初にお会いした時は、どこにでもいる、おじさんの容姿だった、

 身長は俺よりも低く、痩せていた。

 目玉の一つは義眼であった。

 それでも片方の目の眼光は、厳しく俺たち訓練生に突き刺さる。

 でもお話は穏やかで優しかった。

 君たちは若い。若いうちは体を鍛えよ。

 特にパイロットに重要は目玉を鍛えよ。

 毎日、森を見よ、空をみよ。

 目の視力は鍛えられる。

 坂井氏は、今でも昼に星が見えるという。

 エツーー昼に星が見えるものか。

 みんなびっくりした。

 当時の飛行機の航法では、今のようなGPS

等はない。

 すべて、太陽や月、星の高さを測り。計算して、自分の位置を出す。

 太陽からの線と月からの線の交点が自分の位置となる。

 これに星からの線が交わればさらに正確な自分の位置となる。

 当時はまだレーダーなどなかったので、鍛えた視力で相手より先に敵を見つけ作戦を立て、攻撃したという、すごい。

 

物忘れ

                              長野

物忘れ

 年齢の増加と共に、物忘れが酷くなる。

 いつも会っている知人の名前を、度忘れする。

 すぐに、思い出すには、時間が、掛かる。

 年を取りたくない、理由の、一つだ。

 我が家から、バス停までの距離は、およそ1Km。

 家の門を出て、100M位の坂道を上り、平坦な道を歩いて、下りの道となる。

 門を出て、100Mの坂が、最近きつく、なった。

 ようやく、坂を上り切った時に、家内が発声する。

 私、ガスの元栓を切ったかしら。

 自信がないわ。もう一度見てくるね。

 馬鹿者、なんで今更 と怒るが、足の悪い家内には、この坂道は戻れない、

 結局、俺が家にお帰り、ガスの元栓の確認に向かう。

 ハーハー言いながら、家に戻り確認すれば

 ガスの元栓は切ってある。

 こんなことが、何度かある。

 また、俺自身、家の玄関のカギを閉めたかどうか、不安になる時もある。

 確か、閉めたよな、 家内は返事をしない。

 100Mの坂道をハーハー言いながら、確認に向かうときもある、

 年だな。

 どうすれば、物忘れを防ぐことが出来るか。

 ある講演会の議事録を見た。

 講師は 品田マルクス高志氏

 鍵の施錠時に別のことを考えると、鍵を閉めたかどうか,曖昧になります。

 俺は、鍵を閉める時に、バスの出発時間を考えていたな。

 まず鍵を閉める時に、しっかり鍵穴を見つめます。ヨシーーと、目視して、確認する。

 今度俺もやってみよう。ヨシーーか。

 顔と名前が思い出せない。

 憶える時がとても大事で、しっかり覚えると心で決める。

 そして、何度も顔を見て、名前を呼ぶ。

 又よく知っている人と関連づける。

 隣に肩を組んでいるように一緒に見ることを、意識する。 時々思い出すことも大事、

 俺には出来そうにも、ないな。

 最近ボケてきた、と感じる人は、毎日が同じことの繰り返しになっている。

 新しいことを始める。

 趣味でも、買い物の場所を変えるのも良い。

 旅行が良い。

 何でもよいので、新しいことをして、脳に刺激を与えてやると、ボケには、ならない。

 いくつになっても、脳は成長する。

 年齢を重ねても脳は進化する。

 そのためにはシニアでも、記憶力向上のために、強い意欲と、記憶ハイテクの2点に集中する。

 品田氏のいうとうりに、俺もしてみよう。

行雲流水

                             イーチャン

 行雲流水

 今日は、横浜は雲一つない快晴である。

 これはこれで、うれしい

 寒い冬の気温の中で生活をしている、北国の人には、うらやましい天候だろう。

 横浜の気温は現在6度cだが、陽だまりの部屋に入ると、気温は20度C、エアコンはいらない。

 部屋から外を見ると青空が広がり、太陽がさんさんと輝いている。

 もうすぐ春ですねと言っているような青空。

 でもなにか、淋しい。

 いつもは、この空に白い雲が浮かんでいる。

 その雲の動きを見るのが好きだ。

 雲の形は、時間と共に変化する。

 そして、いろいろの顔に変化するからだ。

 怒っている顔、笑っている顔、まじめに勉強してる顔。困っている顔。うるさいなと言っている人の顔。

 その日の俺の気分によって変化する雲。

 ボケっと眺めていると、またたくまに、残された俺の命は過ぎ去っていく。

 でも飽きずに、雲を眺めるのが好きだ。

 また、雲の流れも気になる。

 この雲は、東に進んでいるのか、西に進んでいるのか。

 これから、天候は良くなるのか悪くなるのか、つい考えてしまう。

 現役時代の、習性がまだ残っているのか。

 また山に行って、小川に流れる、水を見るのも好きだが、都会の中では見ることは出来ない、

 田舎に帰って、山に登りたいと思うのは、この小川の流れの水を見たいからだろう。

 又、山中の小川を流れる水は、何とも言えない、音を出して流れている。

 川の流れ、水のしぶき、サラサラ流れる音。

 癒されるなーー 山に来てよかったなと思う、瞬間だ。

 それにしても俺は、最近山には、登っていないな。

 時間を作って、近くの大山にでも行こうかな。

 行雲流水

 空の雲や流水の様に物事に執着しないで、自然の成り行きに任せて、行動すること。

 一定の形を持たず、自然に変わっていく。

 この教えに、俺は、近くなったのか。

 自然体か、

 剣道にも通じるな。

 俺の剣道は、馬鹿力の剣道、もう少し力を抜いてと、先生からいつも注意される。

 雲の流れや、水の流れの様に剣道をやれば、もっと強く成れるのか。

 宮本武蔵か。

 俺には、まだまだ無理だな。

 でも雲を眺めるのは、好きだ。

 眺めるだけでなく、行動に移せと、神様は言っているのか。

 行雲流水の様に生きるために。

 それも人生、これも人生。俺の人生。