低空飛行 その1
R元年11月5日、富士山の麓にある河口湖の上空を低空で米軍機が3機飛行したと新聞に出ていた。
写真付きなので、誰かがスマホで撮影して知らせたのであろう。
明らかに米軍のマークがあり4発のエンジンの輸送機であるのが、写真で分かる。
富士吉田の市役所が防衛省に通報している。
通報を受けた防衛省は米軍に、注意をして下さいと電話で伝えたであろう。
米軍では飛行したパイロットに対して注意をしたのであろうか。
低空飛行の写真を見る限り特に危険な状態ではない。
唯、日本の航空法では、障害物より約300M以上を飛行しなければいけないという規則なので、これには違反している。
自動車の罰則で言えば駐車違反の罪くらいかな。
低空飛行したパイロットはきっと、仕事の仲間が河口湖周辺のホテルに遊びに行っているのを、激励や冷やかしに行ったのか。
11月は河口湖付近も紅葉できれいだ、
富士山も頂上に雪があり、まさしく浮世絵の環境なので、勤務の途中にちょっとお邪魔したのだろう。
河口湖周辺は外国人観光客の人気スポットになっている。
10月に河口湖のホテルに俺も宿泊したが、外人が多くびっくりした。
特に危険な状態でもないのだから、新聞で騒ぐのは、どうかと思う。
昭和30年代にパイロット訓練を受け、24才で機長になったころには、何回となく街の上を低空飛行したものだ。
当時、P2V―7という、対潜哨戒機に乗っていた。
乗員は12名、パイロット以外に10人のクルーがいた。
海の上の長時間の飛行で、外国の潜水艦や不審船を見つけるのが任務であった。
その仕事の帰り道でクルーの中の、郷土を飛行することがある。
あらかじめ、そのクルーに今日は、お前の田舎の家の上を飛んでやるぞと、知らせる。
そのクルーは喜んで田舎のオヤジに電話する。
そして約束の時間にクルーの家の上空を、低空飛行をしてやった。
オヤジさんが家の屋根の上で、大きな大漁旗を大きく振っていた。
後で聞くと、オヤジさんは喜び過ぎて、屋根から落ちて、ケガをしたという。
抵空飛行したという、市役所からの通報はなかった、
もし、通報があった、場合でも上官からパイロットが叱られるだけ、
馬鹿者、見つかるような悪さはやるな。
ばれないようにやれ。
戦争を経験したことのある、昔の上司は優しかった。
現在は、なんだかんだと、細かい規則により、自由に日本の空を飛行機は飛べない時代になった。
飛行機野郎はいなくなった。