箱根大涌谷
ボーナス
コロナのため,滅茶苦茶になった世の中もようやく、落ち着きを取り戻してきたようだ。
しかし、ロシアのウクライナ侵略のため、様々な品物の物価が上昇している。
さらに円高で1ドル146円にはびっくりだ。
1ドル80円代の時代もあったのに。
テレビで映していたが、ハワイではおにぎり1個800円。
ラーメン一杯3千円。
当分海外旅行には行けない。
それでも、旅行者が増えだし、航空会社B社では、3年ぶりにボーナスが出るらしい。
いいことだ。
年金生活者には、ボーナスは関係ない。
年末のボ-ナスセールが大々的に行われるが、ボーナスを貰える人がうらやましい限りだ。
現役時代のボーナスのことを思い出す。
昭和30年40年、50年代は、給料やボーナスは、銀行振り込みでは、なかった。
封筒に分厚く現金の入ったボーナスを受け取る時は、胸が躍った。
景気の良い時は、給料2か月分以上という時代である。
家に帰ると、家族全員が父ではなく、ボーナスを待っている。
家族の前でボーナスの袋を開けて、教育費、娯楽費、父の小遣い、子供たちへのボーナスと分ける行事をしたものだ。
楽しい思い出だ。
それが給料銀行振り込みになると、オヤジの存在価値が無くなり、ボーナスの額を巡って、家内と喧嘩になる場面が発生する。
ボーナス袋の時代には、悪さも出来た。
当時は、男の世界の付き合いが、激しい時代であった、
週に何回も友達、その他で飲み歩く時代である。
仕事の後、まずは焼き鳥屋さんの居酒屋へ、さらに、クラブやバーに行くのが、楽しみな時代である。
クラブや、バーには、きれいなお姉さんが待っており、それなりに、男としては楽しい時間が待っていた。
しかし、料金は焼き鳥屋さんの何倍ものお金を払う。
安月給のオヤジの小遣いでは、もちろん足りない。
お金がなくても、当時は、信用度でツケの制度がり、お代はボーナスで支払うことが出来た。
それで亭主は考える、どうして家族にボーナスの額を示すか。
会社の経理課に友人がいる。
その友人に頼みボーナス時に配布する、袋を内証に沢山貰い受ける。
そして、自分でその袋にボーナスの金額を書き込み家族の間に出したこともある。
バーの借金を確保するためやむを得ない処置である。
悪いオヤジでした。
お父さん、今回はいつもよりボーナス少ないわね。
家内の推理には、かなわない。
今年は、おれの働きぶりが、悪かったのでこの額のボーナスだ、
来年は、がんばるぞと言って胡麻化したこともある。
懺悔いたします。ごめんなさい。