楽しい思い出

                          横浜球場のチューリップ

 

 楽しい思い出

 新聞の広告を見ていたら。80歳でも脳が老化しない人がやっている事という本の宣伝があった、 

 その広告の中で昔の良かった楽しい思い出を振り帰るのが脳の栄養になり認知症になりにくいという。

 俺の長い人生で楽しかったことは、なんなのだろうか。

 楽しい思い出か

 真面に結婚出来て子供が3人も出来たことが、一番だろうな。

 現在は、結婚しない人が多数いるのに、俺は結婚できたからな。

 良かったな、

 3人の息子が小さかった時も幸せを感じたものだ。

 仕事が忙しく、全部家内に息子の面倒を見てもらったのに。

 一切、育児に関しては、家内に任せ、ぱつなしであった。

 オシメの交換やミルクを幼児にやったことは、あまりない、

 現在の様に若いお父さんが幼児をおんぶして、買い物をする風景など見たことがなかった。

 昭和の女性は我慢強く、夫の仕事の事をいつも考えてくれた。

 現在の様に、男性の育児休暇を取れというような、主婦はいなかったと思う。

 我が家内も、昭和の生まれ。

 ぶつぶつ文句もいうが、3人の子供を一人で必死に育ててくれた。

 今になって、その子育ての苦労に対して俺は、心の中でいつも感謝している。

 その感謝を言葉に出さないのも、昭和生まれのオヤジだ。

子供に対しての俺の教育は、他人の迷惑になるな、が信条だった。

この信条を破った息子を、厳しく、しつけたつもりだ。

時には拳骨をしたこともある。

今では、反省しきりだ。

お陰で3人の息子も他人様に迷惑をかけることがなく、まともに現在の生活が出来ている。 俺の教育のお陰だぞ

こんなことを息子に話すつもりはない。

話しても、大人になった息子は、鼻先で俺のことを、笑うのがオチだ、

老人は黙して語らず。

それにしても昭和生まれの女性は、我慢強く、辛抱強く、勤勉で働き者だ、

戦争後のどさくさの、貧乏な日本社会の中で、生きて行くのも大変な時代を経験しているか、父母が食べて生きて行くために、必死に働いて生きている姿を見てきたからだろう。

現在の平和な時代に育つ若者に、戦後の昭和の生活のことを話しても、理解できないだろう。

昭和は遠くなりにけりか。