飛鳥
湯布院 別荘
さてさて 北九州旅行の1日目は。湯布院経由、別府泊りになる。
まずは金鱗湖近くの湯布院の街にて昼飯だ。
湯布院には、特別な思い出がある。
昭和の時代の思い出だ。
昭和20年代は戦後のどさくさ時代。
食べる物や、着るものに、事欠いた時代だ。
まずは、食べる物がない、
芋や、すいとん、麦飯のご飯を食べて、いつも腹が減っていたことを思い出す。
着るものは,おさがり専門、めったに新しい洋服を着た思い出もない。
川の土手に育っていた、草、イタドリ迄、食べた思い出が、酸っぱく思い出す。
かぼちゃ、サツマイモを食べて、白米のご飯が食べたいといつも思っていた。
それが昭和30年代になると、朝鮮戦争を境目にジョジョに日本の経済が良くなって行く。
人々は長屋の生活から、アパートの生活に変わって行く。
外国の人が、日本人は、ウサギ小屋に住んでいると、馬鹿にしていた時代だ。
住宅公団が出来て、当時は、あこがれの、マンションが出来始めるが、何度も抽選のハガキを出したが、俺はいつも落選したものだ。
なかなか、くじに当たらない、公団住宅。
30年代後半から、徐々にテレビや、洗濯機が出始めた時代。
白飯は食えるようになる時代。
徐々に住まいも持ち家の売り出しが増えだした時代
景気は段々良くなる。
昭和40年、50年になると、バブルの時代に変身する。
人々は、新築住宅や、豪華マンションを購入出来た時代。
その時代のステータスは、高いゴルフの会員権と別荘だった。
俺の仲間も次々と別荘を購入する人が多く出た、
俺の先輩は、この湯布院の街の手前にある美人の湯の近くの別荘を購入した。
行こう行こう、先輩の別荘へ
新しく、購入できた新車で何回もお邪魔した湯布院の先輩の別荘。
お肌がすべすべになる、温泉が素晴らしかった。
その別荘を起点に湯布院の周りの、しなびた温泉巡り。
近くの阿蘇山の絶景な景色の景色の中を、車でドライブ。
楽しかったなあー 阿蘇牧場のソフトクリームの味を思い出す。
俺も別荘が欲しいなあーー
家内にいつも言っていた。
先輩はいつでも別荘を使用していいよというので、家内と家族でお借りしたこともある。
別荘に行くと1日目は部屋の掃除。
黴臭くなった布団の虫干し、別荘の周りの草刈り、作業は尽きない。
食事は慣れない手つきで自炊。
別荘を出る時は、後始末の掃除、
家内が言った、やめたーーもういい。
別荘を借りることは、家にいるより疲れる。
そんなわけで、我が家は、別荘を購入しなかった。
旅行はホテル利用に限る。
我が家の法則だ。