ホンダジェット開発者表彰
ホンダジェットを開発した、藤野氏が米国航空宇宙学会から、ダニエルグッケンハイムメダルを授与されることが決まったというニュースが新聞の片隅に出ていた。
この賞は、航空界で最も名誉ある賞の一つである。
過去にライト兄弟
人類初めて飛行機を発明した、兄弟。
最初は、ほんの何メートルしか、空中に浮かび上がらなかったが、改良され曲技飛行など行われた。
世界で、初めての飛行機を作った人。
リンドバーク 翼よ、あれがパリの灯だ、有名な、初めて飛行機でアメリカからヨーロッパに飛行した飛行士
米大手ボーイングの創業者が受賞している名誉ある賞である。
新聞はなぜ、もっと大々的に掲載しないのであろう。
ホンダジェットの藤野氏は、会長の本田氏を、驚かせ、喜び出す姿を想像しながら小型ジェット機を開発したと、ある記事で見たことがある。
会長の決済なしに、本気で飛行機を作ろうとする意志がすごい。
開発の立ち上がりから、アメリカの土地で、航空機会社の倉庫を借りて、試作の飛行機を作った。
航空界の流れを理解しての、発想である。
飛行機の部品は何万個をあるが、ビス1本ナット1本にも。特許や耐空性の証明が必要だ、
それも、アメリカだけでなく、フランス、その他との国の、許可を得なければ、使用は出来ないのは、航空界の常識だ。
設計、組み立て、仕上げその他についても、早急な決断には、莫大な費用の使用が必要になる。
作業は常に、決断、決行が素早く出来なければ、飛行機は出来上がらない。
藤野氏は本社の本田会長の決済なしに、作業を進めた結果、アメリカで初飛行に成功したと思う。
最近の新聞では、年に60機発売すると出ていた。
11人乗りの本田ジェット機乗ってみたいな、
日本では、YS-11が戦後初めて製作して、成功したが、日本初めて旅客ジェット機MRJは。失敗に終わる。
日本国内で、飛行には、成功したが、色々の問題で、世界には通用、出来なかった。
原因は、いろいろあるが、どうしても日本のジェット機を、作るんだという、強力なボスが、いなかったのでは、なかろうか。
各航空会社や自衛隊等から優秀な人材を個々に集めて、作るのは、難しい。
ホンダの様に、一つの会社が、会社の存亡をかけて、作らなければ、飛行機は、出来上がらないと思う。
MRJジェット機。残念、無念。