風光り山笑う

                              イーチャン

 風光り山笑う季節

 3月に入り、天候の不順が続いている。

 昨日は、最高気温が20度Cまで上がり、暖かく気分も良かったが、今日は最高気温6度Cになる。

 気温差が10度C以上もあると、体調管理に大変だ。

 毎日の着る物の選定も面倒くさい。

 オーバーを着たり、薄手のコートにしたり。股引を履いたり、脱いだり、忙しい。

 早く春になれ、春になっても、まだ3寒4温の日が続くのか。

 2月に、乾燥した天気が続いたので、背中に、湿疹が出て痒い。

 孫の手はどこに行った。

 探すのも、面倒だ。

 でも寒い日が続いた、2月よりも、時たま、陽気の良い日がある3月は、うれしい。

 この季節は、風光り山笑う季節というらしい。

 風光るか、 どんな風だろう、

 今日の様な気温6度Cの時に吹く風は、肌に差し込む風だ。

 数日前の、春の嵐のような時に、強風が吹いたが、あれは、悪魔の風だ。

 飛行機の欠航、新幹線の欠航。大変だった。

 風は光っていない、あばれ風だ、

 光る風は陽気の良い日に吹く、そよ風だろう。

 ざわわーざわわー なんか沖縄の歌の歌詞にあったな。

 ざわーわの風は、沖縄の砂糖キビに吹く風。戦争時代、戦場になった、沖縄の哀しい風か。

 光る風は、昭和生まれの人間しか理解できないであろう。マリンリンモンローのスカートを下から吹き上げる風だろう。

 いやーん 馬鹿、マリリンモンは、ーきれいだったな。

 俺の青春時代の光る風は、マリリンモンローのスカートめくりの風だ。

 山笑うの季語は理解出来る。

 寒い山々に積もった、雪が溶けだす時期だ。

 やがて山頂近くの白い雪が溶けて、黒い

山肌が見えるようになり、更に雪に埋まっていた,木々が、緑の葉っぱを出し始め、山々は、白から黒くなり、やがて、雪が解けて木々の緑に変化する。

 間もなく山桜が咲きだし、緑色に赤の色が混じるようなる。

 冬の間じっと寒さに耐えていた、植物が生き返るのだ。

 笑いながら、春だよー

 叫びだす。眠っていた、動物たちも木々と一緒に、遊びだす。

 今年も春が来たよー。春が来たよー

 よかったねーー今年も生き延びるぞー

 風光り、山笑う。

 近くの山にハイキングにでも、行きたくなる季節は、もうすぐだ。

坂井三郎先輩

坂井三郎先輩

 俺の長い人生で影響を受けた人物は誰か。

 少年時代は美空ひばり

 青年時代は坂井三郎氏である。

 パイロット訓練生で、入隊して、基礎訓練時代にお会いした人物だ。

 何も知らず入隊したが、入隊翌日からの訓練は想像以上のものがあった。

 その厳しい訓練をしてくれたのが、特攻隊の生き残りの、S分隊士。

 彼は、我々訓練生を朝、昼、夜、深夜まで鍛えてくれた。

 自分の家庭があるのに、我々と同じように部隊に泊まり込みで。朝も早朝より我々と一緒に起きて、駆け足など行った、

 年齢は30年代と思ったが、よくぞ若者の我々と同じように行動できたものだ。

 訓練中は鬼と恐れたが今考えると、S分隊士の訓練のお陰で、機長になれたし、現在がある。 感謝感激である。

 そのS分隊士と一緒に館山で訓練中、東京に出かけた時に、坂井三郎氏と会うことが出来た。

 S分隊士は、ゼロ戦の勇士で坂井三郎の3番幾として乗務したことがる。

 坂井機長は自分の列幾は必ず守り、戦死者は出していない。

 坂井氏の部下だったS分隊士とは、話尽きない。

 当時坂井氏は羽田の近くで印刷工場をしていた。

 戦後の雑誌で丸という、雑誌を印刷していたと思う。

 歴戦の勇士 坂井三郎氏はどんな人物だろう。

 最初にお会いした時は、どこにでもいる、おじさんの容姿だった、

 身長は俺よりも低く、痩せていた。

 目玉の一つは義眼であった。

 それでも片方の目の眼光は、厳しく俺たち訓練生に突き刺さる。

 でもお話は穏やかで優しかった。

 君たちは若い。若いうちは体を鍛えよ。

 特にパイロットに重要は目玉を鍛えよ。

 毎日、森を見よ、空をみよ。

 目の視力は鍛えられる。

 坂井氏は、今でも昼に星が見えるという。

 エツーー昼に星が見えるものか。

 みんなびっくりした。

 当時の飛行機の航法では、今のようなGPS

等はない。

 すべて、太陽や月、星の高さを測り。計算して、自分の位置を出す。

 太陽からの線と月からの線の交点が自分の位置となる。

 これに星からの線が交わればさらに正確な自分の位置となる。

 当時はまだレーダーなどなかったので、鍛えた視力で相手より先に敵を見つけ作戦を立て、攻撃したという、すごい。

 

物忘れ

                              長野

物忘れ

 年齢の増加と共に、物忘れが酷くなる。

 いつも会っている知人の名前を、度忘れする。

 すぐに、思い出すには、時間が、掛かる。

 年を取りたくない、理由の、一つだ。

 我が家から、バス停までの距離は、およそ1Km。

 家の門を出て、100M位の坂道を上り、平坦な道を歩いて、下りの道となる。

 門を出て、100Mの坂が、最近きつく、なった。

 ようやく、坂を上り切った時に、家内が発声する。

 私、ガスの元栓を切ったかしら。

 自信がないわ。もう一度見てくるね。

 馬鹿者、なんで今更 と怒るが、足の悪い家内には、この坂道は戻れない、

 結局、俺が家にお帰り、ガスの元栓の確認に向かう。

 ハーハー言いながら、家に戻り確認すれば

 ガスの元栓は切ってある。

 こんなことが、何度かある。

 また、俺自身、家の玄関のカギを閉めたかどうか、不安になる時もある。

 確か、閉めたよな、 家内は返事をしない。

 100Mの坂道をハーハー言いながら、確認に向かうときもある、

 年だな。

 どうすれば、物忘れを防ぐことが出来るか。

 ある講演会の議事録を見た。

 講師は 品田マルクス高志氏

 鍵の施錠時に別のことを考えると、鍵を閉めたかどうか,曖昧になります。

 俺は、鍵を閉める時に、バスの出発時間を考えていたな。

 まず鍵を閉める時に、しっかり鍵穴を見つめます。ヨシーーと、目視して、確認する。

 今度俺もやってみよう。ヨシーーか。

 顔と名前が思い出せない。

 憶える時がとても大事で、しっかり覚えると心で決める。

 そして、何度も顔を見て、名前を呼ぶ。

 又よく知っている人と関連づける。

 隣に肩を組んでいるように一緒に見ることを、意識する。 時々思い出すことも大事、

 俺には出来そうにも、ないな。

 最近ボケてきた、と感じる人は、毎日が同じことの繰り返しになっている。

 新しいことを始める。

 趣味でも、買い物の場所を変えるのも良い。

 旅行が良い。

 何でもよいので、新しいことをして、脳に刺激を与えてやると、ボケには、ならない。

 いくつになっても、脳は成長する。

 年齢を重ねても脳は進化する。

 そのためにはシニアでも、記憶力向上のために、強い意欲と、記憶ハイテクの2点に集中する。

 品田氏のいうとうりに、俺もしてみよう。

行雲流水

                             イーチャン

 行雲流水

 今日は、横浜は雲一つない快晴である。

 これはこれで、うれしい

 寒い冬の気温の中で生活をしている、北国の人には、うらやましい天候だろう。

 横浜の気温は現在6度cだが、陽だまりの部屋に入ると、気温は20度C、エアコンはいらない。

 部屋から外を見ると青空が広がり、太陽がさんさんと輝いている。

 もうすぐ春ですねと言っているような青空。

 でもなにか、淋しい。

 いつもは、この空に白い雲が浮かんでいる。

 その雲の動きを見るのが好きだ。

 雲の形は、時間と共に変化する。

 そして、いろいろの顔に変化するからだ。

 怒っている顔、笑っている顔、まじめに勉強してる顔。困っている顔。うるさいなと言っている人の顔。

 その日の俺の気分によって変化する雲。

 ボケっと眺めていると、またたくまに、残された俺の命は過ぎ去っていく。

 でも飽きずに、雲を眺めるのが好きだ。

 また、雲の流れも気になる。

 この雲は、東に進んでいるのか、西に進んでいるのか。

 これから、天候は良くなるのか悪くなるのか、つい考えてしまう。

 現役時代の、習性がまだ残っているのか。

 また山に行って、小川に流れる、水を見るのも好きだが、都会の中では見ることは出来ない、

 田舎に帰って、山に登りたいと思うのは、この小川の流れの水を見たいからだろう。

 又、山中の小川を流れる水は、何とも言えない、音を出して流れている。

 川の流れ、水のしぶき、サラサラ流れる音。

 癒されるなーー 山に来てよかったなと思う、瞬間だ。

 それにしても俺は、最近山には、登っていないな。

 時間を作って、近くの大山にでも行こうかな。

 行雲流水

 空の雲や流水の様に物事に執着しないで、自然の成り行きに任せて、行動すること。

 一定の形を持たず、自然に変わっていく。

 この教えに、俺は、近くなったのか。

 自然体か、

 剣道にも通じるな。

 俺の剣道は、馬鹿力の剣道、もう少し力を抜いてと、先生からいつも注意される。

 雲の流れや、水の流れの様に剣道をやれば、もっと強く成れるのか。

 宮本武蔵か。

 俺には、まだまだ無理だな。

 でも雲を眺めるのは、好きだ。

 眺めるだけでなく、行動に移せと、神様は言っているのか。

 行雲流水の様に生きるために。

 それも人生、これも人生。俺の人生。

横浜雪景色

                           我が家の庭

横浜雪景色

 青森津軽地方には7つの雪の名前がある。 

 粉雪、つぶ雪、綿雪、みず雪、かた雪、ざらめ雪、おほり雪、

 太宰治津軽の作品

 なんか、吉幾三の演歌の歌詞にある名前だな。

 横浜の雪は、みぞれ雪、おほり雪になる。

 昼から、降りだした、みぞれに近い雪は、我が家の駐車場に積もりだした。

 嫌だな、又雪かきか。

 早く溶けてくれないかな、

 テレビの気象放送を、何度も見た。

 これはダメだ。

 西からやって来る沿岸性低気圧が伊豆大島の上、近くを進行して東に進む予報だ。

 低気圧が、伊豆大島の北側を通ると、台風の進路と同じで、関東南地方は、低気圧の影響を受けて、雨が激しくなる。

 また、北からの寒気が南下しやすくなり、寒くなり、雪は積もるだろう。

 そんなことを、思いながら、就寝した。

 朝6時には目が覚めたので、外を見ると、一面の雪景色。

 きれいだな、感心している時ではないのだ。

 長崎は坂が多くて有名だが、横浜も坂が多い。

 滑る坂は、ちょっとの雪でも、普通の車のタイヤでは、スリップして危ないのだ。

我が家から、大きな道に出るためには、沢山の坂がある。

 歩くのも、危ないのだ。

 早朝から雪かきか。

 腰がいたいな

 しかし、車を使用するためには、道路の雪かきをする必要がある。

 冬用のスパイクタイヤは、所有していない。

 物置から雪かき用のスコップを出して、長靴を履いて、手袋をして、雪かきをした。

 子供が小さかった時は、この坂をスキーや段ボールを尻に引いて滑って遊んだものだ、

 高齢者の現在は、雪を恨んで、腰が痛いだけだ。

 ご近所さんも。高齢者が多いため、誰も自分の家の前の雪かきなどはしない。

 俺は、車を、今日使いたいのだ。

 せめて、道路の雪をどけて、地面の黒色を出す、。雪の解けるのが早いだろう。

 セッセッと約1時間30分、何とか、坂の上の、道路まで、道路の地面の黒色を出す、ことが出来た。

 ようやく、作業が終わりに、近づいてきたころに、ご近所さんも、自分の家の前の雪の始末をする人が何人か出てきた。

 それにしても、疲れたなーー

 まだ十分に、普通のタイヤでは、通行できないな。

 不要不急の外出は控えてください。

 テレビで警告していたが、今日は、車の使用は止めた方が安全だ。

 高齢者、無謀運転と新聞に出ないためにも、今日の外出は止めにしよう。

 アイタターー腰が痛い。

節分

                         大船観音

 節分

 2月3日は、節分です。

 鬼は外、福は内 大きな声で叫びながら、豆をまき、鬼を追い出しましょう。

 節分を俺の中学生時代に、セップンと読む奴がいた。

 俺はこれを聴いて、興奮した思い出がある。

 接吻か、接吻は女性とするのか、俺と将来接吻する女性は現れるのか、

 しょうもない、妄想をしたものだ。

 節分は年に何回あるのでしょうか。

 4回です。

 立春立夏立秋立冬の前の日を言います。つまり、季節の切り替え日の前の日です。

 子供のころは、節分は年に1回しかないと思っていた。

 2月の節分だけ、鬼は外の行事をするからだろう、

 今年の神様の方向は、東北東。

 いつも剣道を教えている、幼稚園の子供に、東はどっちだと質問した。

 あっち、コッチ、指を指す。

 かわいいな。

 今日の朝の太陽は、どこから出ましたか。

 コッチ、その方向が東です。

 それでは、北はどっちですか。

 あそこ、南の方向を指さす。違います。

 東の上を北と言います。太陽の沈む方向が西です。

 幼稚園児に教えた。

 節分には,恵方巻を食べます。恵方巻が好きな人。

ハーイ、はーい 、全員、恵方巻は大好きです。

 恵方巻も、最近高価になりだした。

 我が家では、5時過ぎに。スパーに恵方巻を、買いに行く。

 朝に作った恵方巻が売れないで残ったのを。お店のお兄さんが赤い割引のシール―を張る時間である、

 50円引き、100円引きの恵方巻が我が家の節分の、晩御飯だ、

 それでは、恵方巻には、何が入っていますか。幼稚園児の答えは。

 ノリー 海苔か。 

 後は、かんぴょう、シイタケ、卵焼き、キュウリ、エビなどと答えてくれた。

 それぞれ、意味があるのだぞ、

 かんぴょうは、長生きが出来ますように。

 シイタケは盾のように身を護る。

 卵焼きは、黄色、お金が入りますように。

 エビは腰が曲がるまで長生き。

 ウナギは、出世をするように。

 そぼろの、桜色は、めでたい、めでたい

 それを、海苔でまとめて、全部自分の口にいれる。

 願いことを、神様にお願いしながら、東北東の方向を向いて、食べましょう。

 ハーイ、ハーイ、幼稚園の子供たちは、答えてくれました。

 今年の我が家の恵方巻は、いつもは、マグロの恵方巻であったが、ウナギ巻きにしよう。

ダイヤモンドダスト

                               足湯

ダイヤモンドダスト

 横浜も大寒です。 

 寒い日が、続きます。

 朝早く新聞を取ろうと思って、外に出ると寒い。

 息をハーと吐いたら白くなった。

 寒いと思った、子供時代は山形の田舎で育ったが、冬は、全員白い息を吐きながら、通学したものだ。

 子供達は、お互いに白く出る息を掛けながら遊んだ思い出もある。

 高校時代、好きな女の子の後ろから、白くなった、俺の息を振きかけて、もしかして、と、期待したが、駄目だつた。

 馬鹿な俺。

 寒い朝吐くと白くなる息を気霜という、

 呼気の水分が外気によって急に冷え霧に変化した状態を言う、

 気霜は私たちの一番身近な雲だと、気象エッセイストの倉嶋厚さんかいっていると新聞の、コラムに書いてあった。

 寒さのため、あちこちで、寒気による、交通渋滞や被害が発生している。

 雪による車の事故も多発している。

 日本中が寒波の中に入っているのだ。

 寒い寒いと、横浜の人は言うが、東北の人や北海道の人とは、まったく東京と違う寒さなのだ。

 気温がマイナス0度以下の寒さは、東京の気温とは、全然異なる。

 日本海地方、北海道の雪の現象は、関東南部に住んでいる人には、想像できない厳しさがある。

 関東南部の気象は,冬腫れ。

 日中は、太陽がさんさんと輝く。

 現役のころ、仕事で北海道の旭川や釧路には、良く行った。

 雪のため、着陸できずに、引き返えしたり、危なく、着陸後滑って滑走路からはみ出しそうになった、ことを思い出す。

 厳しい冬の北海道の気象であるが、時には真っ青な青空と輝く太陽が出る時もあった。

 早朝便で旭川に、この冬の中での、快晴な天候の時に、着陸して、飛行機の外に出ると。空中には、ダイヤモンドのような、ダストが

 見える時もあった。

 氷点下、10度C以下で早朝空気が澄み切っていて、太陽の光が過冷却状態の雲粒に当り、キラキラと輝く現象だ。

ダイヤモンドをちりばめたように見える。

  初めて見た時は俺の目は,白内障になったかなと思った、

 白内障は、黒いダイヤが舞うように見えるらしい。

 旭川の地元の、職員によると、車の排気ガスが、特に大きな、ダイヤモンドになり、空中を散歩するらしい。

 とっても、きれいだったな――

 旭川の俺の友達は元気かな、

 また北海道旅行がしたくなった。

 でも冬は寒いし、地面は滑るし、高齢者は転ぶ確率は高いな。

 転んだら、最後だな。