幸せの瞬間

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幸せの瞬間

 最近、自分は、幸せな人生を過ごしてきたな、感じる時もある。

 幸せとは何だろう。

 知的障碍者認知症の人でも。今できる仕事をする時は、にこやかに楽しく一生懸命仕事を行う。

施設や家で何もせず、楽に過ごせるのに。

その理由を禅寺の住職は、こうおっしゃった。

  • 人に愛されること 
  • 人に褒められること 」
  • 人の役に立つこと
  • 人から必要とされること

 この4つが人間の究極の幸せです。

 なるほど、そうか

 究極の幸せを求めての俺のこれからの人生はどうか。

 愛する人は存在するのか。

 愛を求めて知らない町に旅立つか。

 今から若い女性を、口説く自信はない。

 もし、若い女性に、愛を語ったら、この色ジジーと、蹴とばされるであろう。

 今ある愛を大事にするべきだ。

 家族を愛して、家内の言うことを素直に聞いて、息子の意見には反対しないで、孫たちには、お小遣いをやって、家族愛を伝えよう。

 人に褒められれたことは、最近全然ない。

 ゴルフで、ナイスショット、うまいですねといつも、褒められるが、幸せは感じない、

 むしろ、逆に不幸を感じる。

 なぜならば、ボールは右に大きく曲がり、ナイスショット旨いですねと言った奴よりも飛んでいないから。

 クソー、今に見とけ、腹が立つ。

 人の役に立つことは何かしているか。

 好きな剣道を子供たちと楽しむことは、少しは、人の役に立っているかもしれない。

 それ以外は役立たずの俺がいる。

 料理もできない。

 まあ、人様の迷惑にはならないように、健康に注意するか。

 人から必要とされることは、あまりない。

 毎日つつがなく平和に暮らせるのが、幸せなのだ。

 そういえば、剣道でいつもボコスカ打たれる相手に、まぐれで、自分なりに見事な面が決まった時は、無常の幸せを感じる。

 究極の剣道のメーン。

 いいなー いつでも打てる腕前になりたいが生来の不器用さのため、なかなか上手には成れない。

 大きな声では言えないが、人に、いたづらをして、成功した時も無常の幸せを感じる俺は、どこか、おかしい人間なのか。

 俺に、いたづらされて、困った友人の顔を思い出すたびに、ひとり、ほくそ笑んで、幸せを感じている。 ごめんなさい。