ソメイヨシノと大田道灌

                                 熱海桜

ソメイヨシノと大田道灌

 河津桜を見学に行った際、河津の植木屋さんから購入した、桜を我が家の庭に植林した。

 来年は、植木屋さんは咲くと言っていたが、本当かな。

 河津での植木屋さんとの会話を思い出し、ソメイヨシノの桜の事をPCで調べて見た。

 ソメイヨシノの母は、エドヒガンだという。

 父は、オオシマサクラ、江戸時代に接ぎ木や押木で作り出したらしい。

 作り出した場所は現在東京の駒込付近が染井村であったので、ソメイヨシノの名前が付いたらしい。

 植木屋さんの祖先は、東京住まいであったのか。

 熱海桜は彼岸桜で大島桜は伊豆の大島の桜か。

 植木屋さんの先祖は、勉強したな。

 大田道灌が作った熱海城に植えたと言っていたが、これはうそだな、

 熱海城は調べたが歴史的には存在しない城だ。

 昭和34年にホテルがあった所に観光目的で作った城だ、

 大田道灌は、室町時代からの武将なので、大田道灌が作った城ではない。

 大田道灌は、江戸城を、築城をした武将だ、

 熱海に街に大田道灌が入ったお風呂があるが、大田道灌は江戸城を作るための、石などを熱海や初島から江戸に舟で運んだらしい。

 植木屋さんの話は、熱海城については、疑問だ。

 大田道灌は、ある日、鷹狩に出かけ、雨に会う。

 農家に立ち寄り、雨除けの蓑を借りようとしたら、娘がヤマブキの花が咲いた枝を1本差し出す。

 蓑は当時の傘の役目をした、農家用の防雨具のようなものだ。

 貧しい農家に、蓑もなかったのであろう。

 立腹して,帰った道灌は、家臣にこのことを話すと、家臣は、

 七重八重、花は咲けども、ヤマブキの実の一つだに なきぞ悲しきという有名な歌があることを、教えた。

 蓑と実のを、もじった娘の英知に驚く、大田道灌。

 農家の娘に教えられた道灌は、ここから死に物狂いで勉強する。

 その結果、大田道灌は学者としても有名になった。

 当時の日本の技術で石や木材を組み立て、現在でも城跡が残る江戸城を作ることが出来たのだ。

 あっぱれあっぱれ、

 それにしても農家の娘さんはどこで、誰から教わって勉強したのだろう。

 その資料はない。