横浜雪景色

                           我が家の庭

横浜雪景色

 青森津軽地方には7つの雪の名前がある。 

 粉雪、つぶ雪、綿雪、みず雪、かた雪、ざらめ雪、おほり雪、

 太宰治津軽の作品

 なんか、吉幾三の演歌の歌詞にある名前だな。

 横浜の雪は、みぞれ雪、おほり雪になる。

 昼から、降りだした、みぞれに近い雪は、我が家の駐車場に積もりだした。

 嫌だな、又雪かきか。

 早く溶けてくれないかな、

 テレビの気象放送を、何度も見た。

 これはダメだ。

 西からやって来る沿岸性低気圧が伊豆大島の上、近くを進行して東に進む予報だ。

 低気圧が、伊豆大島の北側を通ると、台風の進路と同じで、関東南地方は、低気圧の影響を受けて、雨が激しくなる。

 また、北からの寒気が南下しやすくなり、寒くなり、雪は積もるだろう。

 そんなことを、思いながら、就寝した。

 朝6時には目が覚めたので、外を見ると、一面の雪景色。

 きれいだな、感心している時ではないのだ。

 長崎は坂が多くて有名だが、横浜も坂が多い。

 滑る坂は、ちょっとの雪でも、普通の車のタイヤでは、スリップして危ないのだ。

我が家から、大きな道に出るためには、沢山の坂がある。

 歩くのも、危ないのだ。

 早朝から雪かきか。

 腰がいたいな

 しかし、車を使用するためには、道路の雪かきをする必要がある。

 冬用のスパイクタイヤは、所有していない。

 物置から雪かき用のスコップを出して、長靴を履いて、手袋をして、雪かきをした。

 子供が小さかった時は、この坂をスキーや段ボールを尻に引いて滑って遊んだものだ、

 高齢者の現在は、雪を恨んで、腰が痛いだけだ。

 ご近所さんも。高齢者が多いため、誰も自分の家の前の雪かきなどはしない。

 俺は、車を、今日使いたいのだ。

 せめて、道路の雪をどけて、地面の黒色を出す、。雪の解けるのが早いだろう。

 セッセッと約1時間30分、何とか、坂の上の、道路まで、道路の地面の黒色を出す、ことが出来た。

 ようやく、作業が終わりに、近づいてきたころに、ご近所さんも、自分の家の前の雪の始末をする人が何人か出てきた。

 それにしても、疲れたなーー

 まだ十分に、普通のタイヤでは、通行できないな。

 不要不急の外出は控えてください。

 テレビで警告していたが、今日は、車の使用は止めた方が安全だ。

 高齢者、無謀運転と新聞に出ないためにも、今日の外出は止めにしよう。

 アイタターー腰が痛い。

節分

                         大船観音

 節分

 2月3日は、節分です。

 鬼は外、福は内 大きな声で叫びながら、豆をまき、鬼を追い出しましょう。

 節分を俺の中学生時代に、セップンと読む奴がいた。

 俺はこれを聴いて、興奮した思い出がある。

 接吻か、接吻は女性とするのか、俺と将来接吻する女性は現れるのか、

 しょうもない、妄想をしたものだ。

 節分は年に何回あるのでしょうか。

 4回です。

 立春立夏立秋立冬の前の日を言います。つまり、季節の切り替え日の前の日です。

 子供のころは、節分は年に1回しかないと思っていた。

 2月の節分だけ、鬼は外の行事をするからだろう、

 今年の神様の方向は、東北東。

 いつも剣道を教えている、幼稚園の子供に、東はどっちだと質問した。

 あっち、コッチ、指を指す。

 かわいいな。

 今日の朝の太陽は、どこから出ましたか。

 コッチ、その方向が東です。

 それでは、北はどっちですか。

 あそこ、南の方向を指さす。違います。

 東の上を北と言います。太陽の沈む方向が西です。

 幼稚園児に教えた。

 節分には,恵方巻を食べます。恵方巻が好きな人。

ハーイ、はーい 、全員、恵方巻は大好きです。

 恵方巻も、最近高価になりだした。

 我が家では、5時過ぎに。スパーに恵方巻を、買いに行く。

 朝に作った恵方巻が売れないで残ったのを。お店のお兄さんが赤い割引のシール―を張る時間である、

 50円引き、100円引きの恵方巻が我が家の節分の、晩御飯だ、

 それでは、恵方巻には、何が入っていますか。幼稚園児の答えは。

 ノリー 海苔か。 

 後は、かんぴょう、シイタケ、卵焼き、キュウリ、エビなどと答えてくれた。

 それぞれ、意味があるのだぞ、

 かんぴょうは、長生きが出来ますように。

 シイタケは盾のように身を護る。

 卵焼きは、黄色、お金が入りますように。

 エビは腰が曲がるまで長生き。

 ウナギは、出世をするように。

 そぼろの、桜色は、めでたい、めでたい

 それを、海苔でまとめて、全部自分の口にいれる。

 願いことを、神様にお願いしながら、東北東の方向を向いて、食べましょう。

 ハーイ、ハーイ、幼稚園の子供たちは、答えてくれました。

 今年の我が家の恵方巻は、いつもは、マグロの恵方巻であったが、ウナギ巻きにしよう。

ダイヤモンドダスト

                               足湯

ダイヤモンドダスト

 横浜も大寒です。 

 寒い日が、続きます。

 朝早く新聞を取ろうと思って、外に出ると寒い。

 息をハーと吐いたら白くなった。

 寒いと思った、子供時代は山形の田舎で育ったが、冬は、全員白い息を吐きながら、通学したものだ。

 子供達は、お互いに白く出る息を掛けながら遊んだ思い出もある。

 高校時代、好きな女の子の後ろから、白くなった、俺の息を振きかけて、もしかして、と、期待したが、駄目だつた。

 馬鹿な俺。

 寒い朝吐くと白くなる息を気霜という、

 呼気の水分が外気によって急に冷え霧に変化した状態を言う、

 気霜は私たちの一番身近な雲だと、気象エッセイストの倉嶋厚さんかいっていると新聞の、コラムに書いてあった。

 寒さのため、あちこちで、寒気による、交通渋滞や被害が発生している。

 雪による車の事故も多発している。

 日本中が寒波の中に入っているのだ。

 寒い寒いと、横浜の人は言うが、東北の人や北海道の人とは、まったく東京と違う寒さなのだ。

 気温がマイナス0度以下の寒さは、東京の気温とは、全然異なる。

 日本海地方、北海道の雪の現象は、関東南部に住んでいる人には、想像できない厳しさがある。

 関東南部の気象は,冬腫れ。

 日中は、太陽がさんさんと輝く。

 現役のころ、仕事で北海道の旭川や釧路には、良く行った。

 雪のため、着陸できずに、引き返えしたり、危なく、着陸後滑って滑走路からはみ出しそうになった、ことを思い出す。

 厳しい冬の北海道の気象であるが、時には真っ青な青空と輝く太陽が出る時もあった。

 早朝便で旭川に、この冬の中での、快晴な天候の時に、着陸して、飛行機の外に出ると。空中には、ダイヤモンドのような、ダストが

 見える時もあった。

 氷点下、10度C以下で早朝空気が澄み切っていて、太陽の光が過冷却状態の雲粒に当り、キラキラと輝く現象だ。

ダイヤモンドをちりばめたように見える。

  初めて見た時は俺の目は,白内障になったかなと思った、

 白内障は、黒いダイヤが舞うように見えるらしい。

 旭川の地元の、職員によると、車の排気ガスが、特に大きな、ダイヤモンドになり、空中を散歩するらしい。

 とっても、きれいだったな――

 旭川の俺の友達は元気かな、

 また北海道旅行がしたくなった。

 でも冬は寒いし、地面は滑るし、高齢者は転ぶ確率は高いな。

 転んだら、最後だな。

剣道後遺症その2

                          近くの公園

 剣道後遺症 その2

 高齢になっても、病気もせずに、毎日を過ごせるのは、剣道の稽古のためだと、いつも思っている。

 剣道の稽古の日に合わせて、お酒の量を調節する。

 明日剣道の稽古があるので、今晩は、もう一杯、飲みたいが、やめておこう。

 自制が効く、しかし明日は剣道の稽古がないな、もう一杯、さらにもう一杯、さらにさらに奥様の目を盗んでもう一杯、こんな日もある。

 いつまで剣道のけいこが出来るか、わからないが、出来るまでは、頑張ろうと思っている。

 剣道の稽古で生かされている。俺の命。

 前回、小手打ちと胴うちのため後遺症について、書いたが、さらにある。

 剣道では、面の防具を付ける。

 面を、打たれたり、防具の着装が悪かったリすると、耳脇に、ちょっとした。傷が出来た。

 汗を、かいた、汚い手で、いじっていたら、その傷が大きく成りだした 、

 黒くなった傷の塊。

 耳の下、ここは、命に危ないところだ。

 すぐに、お医者さんに行かなきゃ。

 皮膚科に行った。

 先生、耳の下にカビが生えました。

 大丈夫でしょうか。

 ああ、これは、すぐに治りますよ。

スプレーで、いぼを取る薬を吹きかけて、くれた。

 2-3回。通院すると治ります。

 俺は、一回の受診で、後のカビは自分で、はがした。全快だ。

 剣道で、素人に小手を打たれると。痛いだけでなく、軽く腫れるような感じになる。

 痛痒い。

 夜中に無意識に痒くなった、その部分を掻いていたら、シマシマに、あざのようになった。痒い。また皮膚科に行った。

 先生、今度は手に苔が出来ました。

 痒いです。 黴菌が入りましね。

 このヌリ薬を付けると、治ります。

 先生前回は、耳下のカビを取って下さりありがとうございました、

 今度は、この手は苔ですか。

 この手は、ばい菌によるカビです。

 大事にして、治してください。

 人間も古くなると。苔が生えたり。カビが出たりするのですね。

 頭の中もボケてきて、当然ですね。

 頭の中までカビが生えるのでしょうか。

 俺の命は、終焉に近づいて、きているのでしょうか。

 先生は、笑って答えては、くれませんでした、

 苔とカビか。まだ、生身で生きているという事か。

 灰には、まだ、なりたくないな。

羽田事故

                            横浜からの富士山

 1月2日 羽田空港でJAL機と海保機が衝突して、炎上した。

 JAL機の乗員と落ち着いて対応できた、」お客様のために、300人以上の搭乗者は、無事に脱出できた。

 奇跡的、素晴らしいと世界から称賛されている。

 海保機で亡くなった、5人の搭乗員には、哀悼の意を捧げる。

 なぜ事故が起きたか、俺の勝手な思いを記してみた。

 まずは、事故の時刻が黄昏時間であった、

 東京の日没は16時40分、その後、30分位は、薄暮という。

 この時間は、人間の目が夜間の明かりに、なれていない。

 見える物が見えなかつたり、ぼんやりとした光景で、飛行機事故の多い時間帯でもある。

 事故発生が、17時40分位であるので、薄暮に近い。人間の目は、夜間の暗さになれていないので、見える物もぼんやりとしか見えない。

 黄昏の時は、誰でもぼんやりとなる。

 1日の仕事の終わりの時間。

 なんとなく,気が緩む時間だ。

 また羽田空港の一番忙しい時間にもなる。

 地方空港の運用時間は21時や22時になるので、この17時や18時に飛行機が羽田を出発できなければ、地方空港には、到着できない。

 また、地方空港から羽田に到着するのが、一番多いのも、この時間帯。

 羽田から自宅まで、帰る時間を考えると。この時間帯が一番お客様に都合が良い。

 出発する飛行機、到着する飛行機を管制する、管制官も大変忙しい時間帯になる。

 薄暮でボート見える、視界の中で、管制塔の窓の下にある、誤進入防止装置のモニター画面に、管制官の目が行かないは、分かるような気がする。

 誤進入したら、大きな警報装置が鳴る装置では、なかったのか。

 音が鳴れば、気が付くのが早くなる。

 海保機の機長と副操縦士のコージネートは、、どうだったのか。

 機長は早く救援物資を、被災地に物資を届けなければ、いけないという責任感で、アーリー症候群(早く行こう、早くいこう)になったと思う。

 管制官からナンバーワンと言われ、てっきり、滑走路に入ってもいいと、勘違いを起こす。

 一緒に、ナンバーワンを聞いた副操縦士も、機長と同じ、アーリー症候群になってしまったのか。

 機長の勘違いを、止める操作や、管制官に、滑走路に、入るぞと、言えなかったのか。

 その他、いろいろの、事故原因が考えられる。殉職した、5人の海保職員のご冥福を祈ります。

剣道後遺症その1

剣道後遺症 その1

 高齢になった現在でも剣道は続けている。

 毎週、3回は、近くの小学校の体育館をお借りして、稽古に励む。

 3回の稽古の内、2回は、小学生との稽古になる。

 この2回の稽古は、子供たちの交流になり楽しい。

 しかし、自分の稽古には、ならない。

 この子供達との楽しい稽古のため、俺の命が延びていると思う。

 感謝している。

 この剣道の稽古が出来なくなる時が、俺の寿命と思って、頑張っている。

 子供達の中には、ご父兄も一緒に稽古をする、

 全員剣道初心者。

 元立ちになり、教える方も大変だ。

 面打ちは真っすぐ、手を伸ばして。

 足はすり足。

 もっと、竹刀を頭の上に。

 自分が、満足に出来ないのに、教科書、どうりに、教えなければならない、

 従って、指導者は剣道の勉強もしなければいけない。

 剣道初心者の人の、剣道の打ちは強烈だ、

 どこに、そんな、馬鹿力があるの。

 ちゃんと、防具のあるところを打ってください。

 胴の防具の上を打たないで下さい。

 なんで、そんな、所を打つの。

 相手の体が後ろを見ているときに打つのは反則です、打ってはいけません。

 指導が難しく、忙しい。

 胴を剣道の素人に打たせるときは、要注意だ。

 胴の防具と脇下のちょっとした、隙間を打たれる時は最悪だ。

 俺のあばら骨が悲鳴を上げる。

 アイタターーアイタターー

 指導者は、うろたえてはいけません。

 平然と構えて、稽古を続けるが、家に帰って、サロンパスを、あばら骨に貼っても、痛い日が続く。

 また、剣道で小手を、素人に打たせる時も大変だ。

 ドテッバギッ

 思い切っての素人の馬鹿力で打たれる。

 俺の、右手にあざが出来る。

 もう少し力を抜いて、打つときは手を占めて、軽く打つ。

 痛いとは、言わずに指導する。

 剣道の小手は手首から、肘までデス。

 手のひらの後ろでは、ありません。

 まして。小指ではありません。

 防具を付けていても、防具皮の薄い、手の平の後部を打たれると、2-3日は、腫れた手は治らない。

 この、怪我のことは、家内には話せない。

 話すと、馬鹿――剣道バカ、剣道なんか、やめたらーー

 いい加減ジーサンなのだから。

 うるさい、俺の人生だ。

 夫婦喧嘩の始まりだ。

                

昭和時代の梯子酒

                                 紅葉

昭和時代の梯子酒

 最近高年齢のためか、毎日飲むお酒の量が減少した、

 缶ビール1本と焼酎のお湯割り2杯だけか、3杯目の焼酎のお湯割りは、家内の目を盗み、飲むのだ。

 若く元気であった、現役時代を思い出す。

 生ビール、3杯、お酒2合、ワイン3杯

その他すう杯、

 二日酔いもせず、翌日の勤務をこなしたものだ。

 楽しかったのは、仕事帰りの仲間との飲酒だ。

 上司の悪口、花盛り、世の中の動きに対する、論戦、仕事の話、

 わいわいがやがや、

 大声で話しながら、盛り上がったな。

 カラオケはまだなかったが、知ってる流行歌を、皆で歌って、手拍子や、踊りだす奴もいたな。

 課長や部長と一緒の時は、飲み放題、

 課長や部長は、交際費で支払っていた、

 現在は、交際費などはあるのかな、

 時たま居酒屋で、現在も飲むが、サラリーマンの集団が、帰る時は、ワリカン。

 幹事が一人、ずつ、お金を集めている風景が、見られる。

 昭和の時代は、太っ腹な人が多かった、

 ここの勘定は俺に任せろ、

 見栄を張る人物が多かった。

 俺も真似をして、お金もろくにないのに。この、見栄を張ったこともある。

 結果、家に帰り、奥様と喧嘩になる。

 あんた、給料いくらもらっているの。

 子供がいるのよ、いい加減にしなさい、

 怒られた、

 懲りずに、又同じことをする、馬鹿亭主だった俺、

 現在は、反省しています。

 奥様お許しを、

 又、昭和の時代はツケの制度があった、

 4、5回飲みに行き、顔見知りになると。ツケが効いた、

 オヤジ この次に払うからな。

 おおきに、またどうぞ。

 俺は、律義に給料日には、支払いに行った。

 そして、いつものように、飲んだクレ、になるので、翌月には、さらに多くの飲み代を支払うようになる、

 又、奥さんと喧嘩になったな、

 俺の様に律儀に毎月、支払う人間は、飲み屋に取っては、最高な人間。

 中には給料日になっても、支払わない人間もいる。困ったオヤジが給料日には、会社の前で、待ったいた、 おやじから支払わずに逃げて別の門から、逃げて家に帰る奴もいた。

 居酒屋のお店もツケ倒れで、潰れた店もあった、

 当店ではツケはお断りしますの看板が出た

 良き時代だった、昭和。