YS-11の自動操縦装置
現在の民間航空機の中に自動操縦装置のない航空機はない。
S40,50年代の日本で開発されたYSには、自動装置はなかった。
飛行機の操縦を習った時の最初の操縦は水平飛行になる。
空中の空気の中で真っすぐに、上下にならずに飛行する操作は、最初はだれでも上手に出来ない。
上に上がったり、下に下がったり、大きく傾いたり、大変だ。
この操作が旨く出来るのはどうするか。
手足を離しても、水平飛行できるように、トリムを取るのだ。
翼につているエルロン、尾翼についているエレベーター、ラダーの微調整をするのが、トリム。
このトリムを少しづづ、少しづづ動かして操縦かんを持つ手の力を抜いていく。
慣れてくると、自然と出来るようになる。
しかし、空気の流れ気流により、突然、上に持ち上げられたり、下に引きずり込まれたり、進路が大きく狂わされたりする。
そのため、水平飛行中は、スキャンニングと言って、沢山の計器のモニター、外部のチェックに眼を常に動かしておかなければ、水平飛行は出来ない。
気が抜けない、疲れる。
この水平飛行が自動的に出来ると、パイロットの疲労の度合いが減って、安全飛行に結び付く。
YS-11には、この自動的に水平飛行できる装置はなかった。
従って、C社のドル箱路線の羽田から、釧路、帯広、旭川などは2時間くらい、所要時間がかかるが、機長と副操縦士が交代で、水平飛行を行っていた。
二人で、交代で行えば、疲労はあまりないが、中には意地悪な機長がいて、全部の水平飛行を副操縦士にやらせる、機長がいた。
その意地悪機長は、副操縦士には離着陸操作は、させてくれない。
操縦士にとって、仕事で難しいが楽しく出来るのは離着陸操作である。
意地悪機長は、お前にはまだ無理だ、離着陸は俺がやる。
離陸して水平飛行に移ると。副操縦士に全部目的地上空まで操縦させる。
つまり副操縦士は1時間30分以上交代なしで、水平飛行。
とても疲れた、それも帰りの水平飛行も全部、やるのだ。
時には着陸操作もやらせて下さいよとお願いできる、雰囲気のない、意地悪機長。
こんな機長には、なりたくないな。
威張ってばかりで、副操縦士に冷たい機長。
それも偉い管理職、指導機長。
そのお方が地上で、C社のYSには自動装置は必要ない。
副操縦士が自動装置の代わりになると発言しているのを聞いた時には、頭にきた。
こんな管理職がいたので、やがてB社に取り付けれられたYSの自動装置も、B社よりも、かなり遅くC社のYSに性能の悪い自動装置がS60年近くに取り付けられた。
水平飛行を思い出すたびに、性能の悪かったYS11の自動操縦装置を思い出す。
嫌だったことは、認知症になった今でも忘れることは出来ない。