一つの言葉

                               那須塩原

 一つの言葉

 ボケ防止のため、月に一回、お話の会に行っている。

 集まった仲間が、何でも良い、好きなことを、おしゃべりする会である。

 高齢になり、外出もせずに家にいると、他人と、お話をする機会が無くなる。

 奥様との話は、あまりしなくなる。

 もう十分にお橋をした。

 奥様のの仕草で、何を言おうとしているのが察知できるからだ。

 また、俺に文句が言いたいな、さっと、場所を変える、技術が身に着いたからだ。

 そんなわけで、他人とは話す機会がない。

 月に一度、いつもの仲間で、わいわい、がやがやとお話をすると、ストレスも解消される。

 しかし、長い話は、聞きたくない。

 ルールとしては、3分間に限定される。

 3分間の30秒前には、チーンと鐘が鳴り、話す人に合図する。  

 3分間すると、チインー、チインー

 時計係の役目だ。

 自分が話したいことを、3分間にまとめるのは、中々難しい。

 最近自分がした失敗の話や、奥様の悪口、社会の出来事に対する自分の意見、なんでも結構。

  わいわい、がやがや、結構ボケ防止に。役に立っていると思う。

 その会合の中で、いいことも勉強できる。

 ある人の、お話。

 一つの言葉で喧嘩して

 一つの言葉で仲直り 

 一つの言葉で泣かされて

 一つの言葉手を合わす

 一つの言葉はそれぞれに

 一つの心を持っている。

 

 なかなか考えさせられる、お話だ。

 自分では意識していないで、何気なく発した言葉で相手が傷ついたり、喜んだりするということか。

 俺の長い人生で、俺は、相手の一言で、喧嘩したり、傷ついたり、仲直りした、体験を思い出す。

 言葉を大事にするということか。

 相手のことを、よく考えてから発声するのか。

 でも、その一言が言えずに、悔やんだことも思い出す。

 好きです、愛しています、と、俺は発声したことはない。

 女性に振られ続けた人生。

 奥様は、別である。

 時には、奥様に、愛していますと、言ってみるか。

 俺には出来ない。

 一つの言葉の大事さは、良く理解できた。